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2006年06月06日

焼け跡に咲く魂の花:2

焼け跡に咲く魂の花:2
(写真はソウル・フラワー・モノノケ・サミットの1stアルバム「アジール・チンドン」。)

今回は、ソウル・フラワーが参加している沖縄唄者たちの作品を中心にみていきましょうね。

沖縄唄者とソウル・フラワーはお互い良い刺激を受けながら、相互に変化していきました(^▽^)

そして、こんなにも多くの作品が、ソウル・フラワーがいなかったら世にでていなかったのですよ…!
∑( ̄◇ ̄;)ハウゥッ

ソウル・フラワーの原点としては、(政治の)「中心」から「周縁」に対する権力関係や差別関係への対抗ということが明確に現れていたと思います。

権力関係や差別関係抜きに、人間どうしが水平につながること

そういった「周縁」の側から発信する「抵抗の音楽」として、沖縄やアイヌに接近していった部分がはじめのうちはあったように思います。

でも、実際にさまざまな「にんげん」たちとの交流を通じ、ソウル・フラワーは「ヤポネシア」という概念を獲得していきます。
「ヤポネシア」とは、かつて奄美に在住した作家・島尾敏雄が提唱した、ヤマトを含むアジア・太平洋を島々のつながりでみていくというものです。

そう…、ソウル・フラワーの音楽は、もっと大きくおおらかな「関係性」への指向へと変化していったようにみえます。


その変化の理由には、神戸の震災体験もあったでしょうし、それと同じくらい大きな体験として、“沖縄の唄者たちとの交流”がありました。
今回は、とくに交流により影響を大きく受けたと思われる唄者に絞って解説しましょうね。d(^。^)


まずは93年。
喜納昌吉のアルバム「レインボー・モーメント」に参加します。

そこで、「騒乱節」を喜納昌吉と共作します。

そうです!
あの「マブイ祭」でトリをいつも務める「炎舞太鼓」が必ずエイサーで使う、あのロック調の「騒乱節」です!

よく聴くと、ソウル・フラワーのヴォーカル中川敬が喜納昌吉とユニゾンしていますし、囃子は同じくソウル・フラワーの伊丹英子です。
さらにギターやベースなどの演奏に、
「北はアイヌに南はウチナー…」
という独自の歌詞も、完全に喜納昌吉とソウル・フラワーの共作なのです!

この、喜納昌吉との出会いは、ソウル・フラワーがそれまでの「ロック」を越えて、沖縄・アイヌ・朝鮮などの音楽とチャンプルーしていくきっかけになったといえるでしょう♪


次に、まさに“盟友”となった八重山唄者の大工哲弘の存在が挙げられます。
大工哲弘も、阪神大震災のときに、ボランティアで駆けつけた唄者の一人でした。

大工哲弘は、阪神大震災の前年の94年に「ウチナージンタ」という、三線にチンドンというスタイルのアルバムを発売していました。

ジンタ”とは、明治の初期に軍楽隊の音楽として日本に入ってきた西洋音楽が、明治の中頃に民間の楽団によって、宣伝広告やサーカス、映画の余興として演奏される中で大衆化された音楽スタイルです。
その流れはやがてのちの「チンドン」へと連なっていきます。

一方、八重山の人々は、明治の頃からヤマトから流れ着いた唱歌や流行歌を八重山流にアレンジしたり替え歌にしてきました。
とくに、戦後直後の娯楽のない時代、三線とチンドンをあわせたようなジンタを路上で演奏するひとたちが、八重山には多くいました。
それらのジンタバンドは、戦争に疲れたひとびとを大いに慰め、元気づけました。
その代表格が、あの超高齢バンド「白百合クラブ」です!

それは、いまでも大工哲弘の原風景になっているといいます。
だからこそ、八重山民謡の名手として活躍してきた大工哲弘は、“ジンタ”にこだわったアルバムを出していたのです。


ここからは多少想像も入りますが、きっとソウル・フラワー(とくに中川敬)はそのジンタを聴いていたのでしょう。

それだからこそ、音響施設のない瓦礫の中で、三線にチンドンスタイル、さらに民謡に昔のはやり歌というスタイルで歌ったのだと思います。
そして、じかに神戸長田地区のおじい、おばあたちの反応に触れ、また大工本人に会い、語り合ったことで、「確信」のようなものを得たのだと思います。

一方、ソウル・フラワーが焼け跡で演奏するチンドンの力強さは、大工に大きなインパクトを残したことも想像に難くありません。
現在、大工も3枚目の「ジンタ」スタイルのアルバムの発売が決定しており、
ジンタの演奏はライフワーク
とまで言い切っていますが、これは間違いなく、震災でのソウル・フラワーの影響からの「確信」でしょう。

なにせ、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの1stアルバム「アジール・チンドン」のライナーノーツを書いているのは大工哲弘本人です!

しかも、その後も大工とソウル・フラワーの“盟友”関係は続くのです。
例えば、2000年に那覇で行われたソウル・フラワーのライブでは、ヴォーカルの中川はライブ前に大工と飲み過ぎて、

“ライブの記憶一切なし”

という事件まで起こしています…(汗)。
(…でもライブはやるわけね。。。(^_^;))



また、震災ライブのときに駆けつけた唄者の中に、石垣島で「琉歌」という民謡酒場をやっている、若き唄者・川門(かわじょう)正彦がいました。

八重山のヴァン・ヘイレン」(よーかいが勝手に命名。「ジミヘン」の称号は「誠ぐゎ」だし、年代的にもこちらかな、と…。)
というべき、超絶技巧の三線早弾きの名手です。

その川門は、ソウル・フラワーの「アジール・チンドン」に参加しています。

それも、三線ではなく、「囃子」で…。
なんとムダに豪華な!∑( ̄◇ ̄;)



さてさて、次回はソウル・フラワーによって生まれた、沖縄の名作CDをご紹介しましょうね。

誠ぐゎに平安隆に…v( ̄m ̄*)ふふふのふ。


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Posted by チバりよ at 11:36│Comments(2)よーかい
この記事へのコメント
なんか、“We're the world"な世界だね~(@△@;)

次の展開にもチムドンドン・・・ブヒー( ̄ii ̄)V
Posted by しっぽ♪ at 2006年06月06日 12:01
>しっぽさん

たしかにここまでの文章だと、、“We're the world"なチャリティーバンドっぽい感じですが、実際はもっと機敏かつ過激かも…(^-^;

彼らなら、「自分たちが安全地帯にいながらの行動」というのはまずしないでしょう。
アフリカに対して何かするなら、まずアフリカに行くという主義のバンドです。。。

なにせ、この現代日本で、「政治的に過激な歌詞だから」という理由で発禁になった曲もあったりしますし、「出前ライブ」は日本に限らないのです。

そのあたりの詳細は以下の続編で!(^▽^)
Posted by よーかい at 2006年06月07日 08:56
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