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2006年05月11日

猫じゃないもん!(犬でもないよ)

多良間島の始祖の神話が残る“ブナジェーウガム゜”(「ム゜」の発音、どなたか教えてください…。)

「いわく」付きのウタキだからなのか、それとも島人が特別大事にしているからなのか、宮古島と周辺離島のほぼすべてのウタキが載っている地元発行のウタキ紹介本(マニアックな…。)にも載っていないウタキです。

そこに草に埋もれてひっそりと佇むこの石像。

猫じゃないもん!(犬でもないよ)

いったいなんだかわかりますか?

もしかしたら、

沖縄民俗学の常識をひっくり返す、大発見かも?!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

結論からいうと、シーサーなんです。
シーサーにも、実はいろいろ種類があって、これは「村落獅子」という、もっとも古いタイプのシーサーです。
主に村の守り神として置かれている石像ですので、島の始祖神話が残るウタキにあるのもうなずけますね♪d(^。^)


よーかいが思うに、シーサーは好きこのんで屋根にのぼったわけじゃないと思うのですよね。

シーサーが屋根の上にのぼるようになったのは、実は明治以降なんです。
明治まで、庶民が瓦葺きの屋根を使用することは禁止されていました。
だから、瓦屋根の民家自体が、明治以降できたものなのです。
(当然、それまで門柱もありませんでした。)

魔除けのため、というのもありますが、瓦職人が余った瓦で「この瓦は俺が葺いたんだ!」という目印のために作ったのが、シーサーが屋根の上にのぼったきっかけみたいです(^.^;)


そして、この村落獅子、研究者によると、沖縄本島以外では、本当周辺離島での報告例はごくわずか
石垣島では一つ。
そして、宮古島と本島より南の離島(石垣島を除く)には「存在しない」とされていたのです!∑( ̄∀ ̄;)ナント


……。


もしかして、これって、民俗学の常識を覆しちゃうかもですよ?v( ̄m ̄*)

世界変えちゃうかもですよ?
ゲバラですよ?レノンですよ?ラブ&ピースですよ?チョキ
革命ですよ?!炎(意味くじわからんばーよ。。。汗)


話戻しますけれど、シーサーは獅子なわけですから、屋根の上にのぼっているサイズは、小さすぎると思いませんか?
あれでは、“獅子”というより、

“猫”

です。アガ!(痛い!)

遠くエジプトから海を越え、陸を超え、東の果てまでやってくるうちに、獅子はその身をすり減らして小さくなってしまったのでしょうか?
さらに、陸伝いに朝鮮からヤマトに入った獅子は「狛犬」と“犬畜生ムカムカ呼ばわりされることを甘受せざるを得ない状況にあります。
これは明らかに、「獅子権侵害怒りといえるのではないのでしょうか?( ̄ー ̄;)


ところが!
やんばるに位置する、国頭村奥集落で、まだ獅子のキラキラ プライドキラキラ を持ったシーサーに出会うことができました!

これです!シーサーオス

猫じゃないもん!(犬でもないよ)


……。

座高が成人女性の背丈ほどもありますが、

屋根が壊れませんか??σ(⌒◇⌒;)アガ!(痛い!)


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Posted by チバりよ at 12:07│Comments(9)よーかい
この記事へのコメント
うん、いいねいいね。
こういう気楽な記事も好きだよ。
ところで、伊是名島には、本当にスフィンクスくらい大きなシーサーがあるよん。
http://homepage2.nifty.com/tk-kariyushi/diary/izena/izena.html
のぞいてみてちょ。
Posted by かり管1号 at 2006年05月11日 14:04
>かり管1合さん

どうもです~♪(^▽^)

これからもっと「てーげー」になる予定ですぅ~ヽ(´ー`)ノ(笑)


伊是名島のシーサー展望台、一昨年伊是名島に行ったときに見ましたよ♪(^-^)

ところで、このはじめの写真のシーサーを見つけたときには、
「これはいったいなんだろう??」
と頭を悩ませたものでした。

いろいろ文献やネットをしらべて、「しーさーアイランド」という、シーサーの歴史・種類・民俗学的研究・社会学的研究などを載せたシーサー専門書(?)に「村落獅子」という項目と写真を見つけたとき、
「これだぁ!」
と一人でちょっと興奮してしまいました(笑)。

しかも、記述によると(今、本が手元にないのですが…)、本当に研究者の間では、宮古や周辺離島には村落獅子は
「まだ見つかっていない」
ということになっているらしいのです!

だから、ちゃんとしたレポートを書けば、もしかしたら沖縄民俗学に大きな波紋が広がるかも…?!

でも問題は、そのレポートをどこに出せばいいのかがわからんとです…(爆)。
Posted by よーかい at 2006年05月13日 12:54
よーかいさん!すごい発見かもしれないのですね!
((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪

えみんちゅ 屋根の上のシーサーは 作った職人?家主?に
似せて作ってあると聞いたこともあります(*^▽^*)

“猫”です。アガッ ←なんだか笑ってしまいました~。

国頭村奥集落シーサーちゃん・・・デカッ!(笑)
Posted by えみんちゅ at 2006年05月14日 22:53
>えみんちゅさん

なるほど~、作った職人に似せてあるのですか~(^。^)
絵なども、自然に描き手の性格とかがでてくるものですが、シーサーはそれ以上に作り手の個性がでてくるものかもしれませんねっ♪

そうそう、国頭村奥集落のシーサーは本当にびっくりするくらいでかいです。
けっこう入り組んだところにあるので、もし奥集落にお越しの際には、集落をうろうろ…じゃなかった、ぶらぶら気長に歩いてみることをおすすめしますd(^。^)

でも、あのシーサー、目がうつろなんですよね。。。こわっ(汗)。
Posted by よーかい at 2006年05月17日 09:10
あらためてこの記事を読んでみたんだけど、このブナジェーウガム°の村落獅子、ホントに大発見かも。
沖縄県で作ってる(らしい)沖縄デジタルアーカイブ「Wonder沖縄」は、沖縄の文化についてのデータがかなり詳しく載っていて、内容・ビジュアル共にIT王国沖縄にふさわしい素晴らしいサイトだと思う。
http://www.wonder-okinawa.jp/
このサイトには、シーサーのコーナーもあって、「村落獅子」についても沖縄全土のものが1点1点写真付きで載ってるけど、宮古のものは載ってない。
このサイトに投稿したら、取り上げてもらえるんじゃないかな。ただし、新発見としての見返りは無いと思うけど。
あとは沖縄の新聞社に投稿するって手もあるよね…ニュースになるだけで終わるかなぁ。
Posted by かり管1号 at 2006年05月17日 16:13
>かり管1号さん

すごいサイトの紹介どうもありがとうございました♪(^▽^)

ね?
これ、たしかに村落獅子ですし、しかも宮古あたりには存在していないことになっているでしょう?

よーかいは始め、これが村落獅子だということも知らなかったので、いろいろ文献調べたり、ネットでも調べたりしたのですが、研究者の論文を読んでも、宮古周辺には村落獅子は存在しないことになっているんですよ~!

そもそも、このウタキ自体が、ほとんど島民以外には隠された存在みたいになっています。(ウタキの由来は調べてわかったのですが、何か禁忌があるのかまではわかりませんでした。。。)

そのウタキの中で、草に埋もれて、なんの手入れもされず、ひっそりと忘れ去られたように存在していたんです。
たぶん、島のひとにも、これがなんなのかわかっているひとって、いないんじゃないのかなぁ…?

最近多良間島では、八月踊りの関係で、民俗学者も多く出入りするようになっていると聞いてはいますが、あまり集落のはずれのウタキの隅々までは見ないのでしょうかね…??(^_^;)


上記の記事で「発見」なんて書いたことは、記事を盛り上げるためで、実際はそんなのはおこがましいことだとは思うのです。
だけど、大事な文化財が、なんの保存もされずに朽ちていくだけなら、ちょっともったいないし、なんとか保存できないものかなぁと思います。

一応、デジカメのもう少し大きな写真もあるので、やっぱり琉球新報あたりに投稿してみるのがいいのかなぁ…?



>皆さん

どうするのが一番良いと思いますか?
皆さんのお知恵をお貸しください~m(_ _)m
Posted by よーかい at 2006年05月18日 00:23
そうですよっ!朽ちて 皆に忘れられてしまうのは
シーサーも可哀相です。
ただ・・・よーかいさんが 思うように

それとも島人が特別大事にしているからなのか・・・
だったら・・・(-_-)ウーム どうなんでしょうか・・・?

"ノ(-________-;)ウゥーム・・・ 
Posted by えみんちゅ at 2006年05月18日 00:44
沖縄文化がなぜ先島と沖縄に分かれているのか考えてみてください。
琉球王朝に支配されていたのなら同じ文化や言語になったはずです。
それが違う文化で今まできたのには訳があるはずです。
まだその理由は研究中のため分かりませんが、これが解れば、もうひとつの沖縄の歴史が現れてくるかもしれません。
たとえば、封印された先島の文化とか…。
Posted by にしやん at 2006年05月18日 21:05
巻頭の村落獅子の「形」からいろいろ推察してみるのもおもしろそう。あの形、「Wonder沖縄」に載っている「玉城村の村落獅子」にそっくりじゃありません?ひょっとして「移住」とか「島流し」などによる文化の流入…なんて線もありうるかも。
Posted by かり管1号 at 2006年05月19日 10:47
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