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2006年03月31日

浜下りありんくりん

浜下りありんくりん
(「沖縄の民話カレンダー」3月では、浜下りをしていた女性が拉致られて、孕まされて、帰ってみても居場所がなく、虚しく死んでいくという救いようのないお話です…。合掌。)


所変われば品変わる…。
花は流れてどこどこいくの、人も流れてどこどこいくの~?

ひな祭りもどこどこ行くの?

おーい?どこいくんだーい…??(^_^;;

ヤマトにおいて、桃の節句が三月三日に定められたのは約1800年前からです。
三が三つ並ぶことから「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれるようにりました。
三月三日と定められたのは室町時代だと言われています。

前回「浜下りの由来」で書いたように、古代中国においては、上巳の節句に河で禊ぎを行い、汚れを落とした後に宴を張る習慣がありました。
また同じ日に「曲水の宴」なるものも行われ、奈良~平安時代に日本の貴族階級に取り入れられたのが日本の桃の節供のスタートだそうです。

しかし日本ではあまり河での禊ぎはあまり一般化せず、禊ぎの代わりに形代(かたしろ)と呼ばれる人形の体をなで、これに汚れを移して川や海へ流すという日本独特のものに変わっていきました。

今でもこの「流し雛」の行事が残る地域が有ります。

しかし、この形代はいつの頃からか上流武士の間で上司への贈答の品となりました。
この為形代は質素な型代から豪華な人形へと変化していきました。
やがて人形は河に流すものではなく、家に飾るようなものも作られ始めました。

ちょうど、沖縄の「浜下り」とヤマトの「流し雛」をつなぐようなお話が鳥取県に残っていますので紹介しましょうね。


【洗足山の鬼と八上姫の恋物語】

むかーし むかし

用瀬の洗足山の頂上近くの「洗足の岩屋」という洞くつに鬼が住んでいました。
この鬼は、時々里に出てきて悪さをするので,ふもとの人達は怯えながら暮らしていました。
またこの鬼は、毎日のように三角山をヒョイヒョイと越えて東の麓の赤波川へ下りて行っては和多里世箭子の水(わたりさこのみず)“延命水”を飲み鬼の井戸場で洗濯をし、鬼の風呂釜で体をきれいに洗ったりしました。

その頃、河原町曳田(ひけた)の鳥越長者の家にうつくしい娘八上姫がいました。
その八上姫に目をつけた鬼は、赤波川の渓谷で体をきれいにしたり延命水を飲んで力をつけた後、見るも凛々しい若者に化け夜な夜な八上姫のもとに通いました。

しかし、名前も住まいもあかさぬ若者の様子を娘から聞いて、おかしいと気づいた鳥越長者はその若者の着物にそっと糸をくくり付けるよう娘に言い聞かせました。
やがて若者は、夜が明けぬ間に帰らねばと慌 てるようにして帰っていきました。
糸はぐんぐん延びていきやがてピタリ!と止まりました。
まだまだたどっていくと、そこは洗足山の岩屋の洞くつでした。
大きないびきをかいて寝ている鬼の姿を見た使いの者は、腰を抜かさんばかりに驚きました。
なんとか、この鬼を退治せねばならぬと思った長者は、ちょうどその頃、因幡の国の国司をしていた、在原行平朝臣(在原業平の兄!)に鬼退治を頼むことにしました。
鬼退治をすることになった朝臣は、洗足山に近い用瀬町宮原の葦男(あしお)大明神(現在の犬山神社)に宿を取り、金屋の薬師が谷の“薬師如来”と洗足谷の“不動明王”に“願”を掛けました。

そして千体の薬師如来の像を刻みそれを川に流して鬼征伐の祈願をしました。
この時以来この川を千体の仏像を流したことにちなんで「千体川(せんたいかわ)」「千代川(せんだいかわ)」と言われるようになったということです。
そして、願掛のおかげもあって、みごと鬼を退治した朝臣は鬼の死骸を焼きました。
するとその鬼の死骸の灰は 天高く舞い上がり村中、四方八方飛び散りました。

やがてその灰は、人の肌を刺すブヨになって今でも住民の肌にしつこく食いついて恨みを晴らすかのように吸い続けています。

実らなかった恋や厄は、流しびなに託して前の千代川に流しました。
“洗足山の鬼と八上姫の物語”は、今はみんなの恋や愛が実り、結ばれることを願って対岸の流しびなの館の前庭の “流しびな神社”に手厚く祭られています。

〈おしまい〉


うーん、これは「悲恋」なのでしょうか??(-_-;)
しかも、縁結びの効果、めっちゃ薄そうなんですけど??(-_-;;)


まあ、そんなことは置いておいて(爆)、この話には、原型があちこちに見られるそうです。
たとえば、日本最古の文献である『古事記』崇神天皇記にも似た話があります。

三輪山(古代から神が山に宿る神体山として崇められた山です)の大物主大神(オオモノヌシオオカミ)が活玉依毘(イクタマヨリビメ)の許に通ってきたが、どこの誰とも分からなかったため、来たときに針に糸をつけて着物の袖に刺しておきました。
翌朝男が去った後、その糸は家の鍵穴を通って三輪山神社まで続き、そこには三輪山の神である蛇がいました。
その三輪山の大物主大神(蛇神)と活玉依毘のあいだに生まれた子が櫛御方命(クシミカタノミコト)で、後に崇神天皇に頼まれて、御諸山(三輪山)を祀る神主となる意富多多泥古(オオタタネコ)の先祖に当たる人物になったといいます。


えと……ヘビの子どもを生んでしまったのね(^-^;;
それにしても、ヤマトの神話の人物の名前って、いったい何でこんなに読みづらい名前なんだろう…??

それはともかく(笑)、古朝鮮では、百済武王と後百済武王について、上記と同様な話が伝えられているそうです。
さらに、この「三輪山神話」と同じ話型の話はアイヌにも伝えられているといいます。

なお、沖縄では、浜下りをして蛇の子を堕す話は、北は国頭村から南は八重山諸島まで広く伝えられています。
一方、三輪山神社と同じく、堕胎されずに生まれた子が一族の始祖となる話も、宮古島最北端の狩俣では伝えられているとのことです。


こうして見てみると、どうやら、この話の原型は東アジアに古くから伝えられていた話であるようです。

さらに、もっとアジア的な「禊ぎ」の原型のような「浜下り」の儀式が琉球弧に残っているのを見つけました。
それは、徳之島の伝統浜下り「潮掛り(シューカリ)の習俗」です。

奄美大島の南にある徳之島では、新生児の体を海水で清めるシューカリの儀式というものがあります。
方法は島でも地域ごとに少し違うそうで、時期は旧暦3月ではなく、盆の直後の丙、丁、戊の日柄を選んで3日間行われます。

天城町兼久海岸では、新生児に御神体という鍾乳洞状の岩壁を踏ませます。

シューカリのことを別名「ミー浜クマシ」ともいい、対訳すると新しい浜を踏ませるという意味です。
つまり、一族集団が年に一度、先祖代々共有している砂浜に一堂に集まり、遠い先祖の神々に新生児の健やかな成長を祈願すると同時に、新生児を紹介、新生児が初めて一族集団の仲間入りを果たしたことをも意味する行事だそうです。

生まれてきた子どもの健やかな成長を祈る、節句本来の「禊ぎ=清め」、そして一族のつながりの“再確認”といったものがここにはあるように思います。
まるで、遠くキリスト教の洗礼の儀式みたいですね(^-^)


さて、このように見てくると、沖縄文化の背景には、海を越えて、多様な文化が古代から流入していたことの断片が残されているように思います。

よくある言説で、「沖縄には古代の日本文化が残っている」という研究者がいますが、よーかいはそのような言説には違和感があります。

なぜなら、そのような言説には「ヤマト=主」「うちなー=従」といった、近現代の権力関係をそのまま無批判に当てはめているように感じられるのです。
また、琉球王朝の政治家・羽地朝秀(向象賢)や「沖縄学の父」伊波普猷が唱えた“日流同祖論”は、ヤマトによる琉球・沖縄への不当な支配に正当性を与えてしまったという負の歴史もあります。

やはりそれは、当時の「権力関係」を背景にしていた論だったので、歪みが必然的にでてきてしまったのでしょう。

むしろ、背景には広大なアジア太平洋文化があって、それらの通り道としての琉球弧があり、たまたまどんづまりにヤマトがあったというだけなのではないのでしょうか?

そのようなことを様々考えていくと、ヤマトから琉球へ文化が流れたというのは、ごく一部のことにしか思えないのです。


日本?
小さい小さい。

世界は広いぜよ!d(^ー^d)


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Posted by チバりよ at 16:25│Comments(2)よーかい
この記事へのコメント
よーかいさん・・・すごい・・・。 (^_^;
Posted by えみんちゅ at 2006年03月31日 16:45
>えみんちゅさん

こんな長くてめんどくさい記事をちゃんと読んでくださる、えみんちゅさんこそすごいですよ♪
ありがとうです(*^-^*)

比較民俗学は、現役大学受験生の頃は一番大学でやってみたい学問でした。
結局、浪人時代に「もっと他にいろいろやってみたいものもあるし、民俗学じゃ将来につながらないよな~」とか考えて、その方面には進まなかったのですが、最近民俗学関係の資料や本を読んでいると、とても楽しい気分になっている自分を発見しています♪(^▽^)
Posted by よーかい at 2006年04月01日 09:24
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