2006年02月22日
与那国の猫小(まやーぐゎ)
「222」で、「にゃんにゃんにゃん」だから猫の日だそうです。
1987年に、猫の日制定委員会が決めたのだそうです。
…つか、猫の日制定委員会って何ですか?
名前だけはものものしいですが、調べてみると、なんだか内実は「同好会」みたいなものらしいです。
そうか、逆にそう考えてみると、公正取引委員会は「公正取引同好会」で、一気にてーげーな感じになります。
国家公安委員会は「国家公安同好会」になって、なんだか「地球防衛家のヒトビト」みたいですね♪
それはともかく、沖縄で「猫」といえば、「与那国の猫小(まやーぐゎ)」が思い浮かぶひとが多いことでしょう。
思い浮かばなくても、今日はその話ですすめていきますので、そのつもりでいてください(笑)。
ちなみに、「小(ぐゎ)」は「~ちゃん」という愛称みたいに使います。
「猫小」は「猫ちゃん」ということになります。
応用編(?)としては、登川誠仁は「誠小(せいぐゎ)」と呼ばれますが、つまり「せいちゃん」です。
もし一歩間違えたら「せいこちゃん」で「赤いスイトピー」もしくは「天使のウィンク」です。(古っ!)
ほら、もうあなたは登川誠仁さんが、ふりふりのフリルのスカートをはいて、ぶりっこしている姿が目に浮かんだことでしょう♪( ̄m ̄*)
……えっと、話が進まないので、いいかげん先いきますね(爆)。
「与那国ぬ猫小」というタイトル、訳すと「与那国島の猫ちゃん」という意味になります。
かわいらしいタイトルですが、曲の背景には、琉球王朝が敷いた凄まじい圧政が存在するといわれています。
そう、あの悪名高い“人頭税”です。
人頭税とは、15歳から50歳までの男女一人一人に、田畑の面積とは関係なく、頭割りに税を課したものです。
当然、病人や障害者でもおかまいなしに税の取り立てはありました。
さらに、台風で作物が全滅しても減免はいっさいありませんでした。
納税物を載せた船が転覆した際にはなんと“未納”とみなされ、再度同じだけの納税物を納めなければなりませんでした。
与那国島は決して肥沃な土地ではありませんでしたし、荒れる海を渡るのは大変な困難がつきまといました。
その悲惨な歴史は、いまでもトゥングダやクブラバリに残っています。
トゥングダは、集落から少し離れた場所にありますが、鐘を打ち鳴らして一定時間以内にそこに集まることのできなかった者は島民によってみなごろしにされました。
一定時間以内に集まれなかった者とは、病人や障害者や妊婦でした。
彼らを養っていける余裕など人頭税下の与那国島にはなかったのです。
クブラバリは、久部良集落の近くにある、海に面した幅約3m・高さ7mの岩の割れ目です。
かつて、妊婦を集めてその割れ目を飛び越えさせたのです。
健康な成人男子でも命を落とす確立の高い絶壁を、身重の女性が飛び越えることはまずできませんでした。
運良く命が助かっても、流産を免れることはできなかったといいます。
そうやって、人減らしをしなければ、島の人々全体が生きていけなかったのです…。
でも、「与那国の猫小」は唄になる前に、沖縄の民話にしては珍しくハッピーエンドの物語としてつたえられているのです。
その内容を要約すると、以下のようなお話です。
【要約】
与那国島の祖内に住んでいた大川加仁というおじいさんは、ある日ヤシガニに足を挟まれていた猫を助けました。
家に戻ると、どうやって家がわかったのか、助けた猫が来ていたので、そのままかわいがって飼うことにしました。
ある時、おじいさんは役人から人頭税の俵を船で石垣島まで運ぶように言われました。
猫もついてきてしまったので、「猫が船に乗ると災難が起きるから連れてはいけない」と言って、猫をおいて出航しました。
しかし、どうやって忍び込んだのか、船底から猫が現れたので、仕方なく石垣の蔵元まで猫と一緒に行きました。
人頭税を届けた後、おじいさんは与那国に戻り、猫と一緒に楽しく暮らしていました。
その間、人頭税は石垣から首里城に運ばれました。
届いた俵は、宮古のものも石垣のもののネズミにかじられていたのに、なぜか一番遠い与那国島のものだけは無傷でした。
役人がそのことを王に報告すると、ちょうど蔵がネズミに荒らされて困っていた王は、その猫を連れてくるように命じました。
役人が船に乗せて猫を首里まで運ぼうとしましたが、何度船の柱にしばりつけても、猫はいつの間にかおじいさんの家に戻ってしまいました。
それを聞いた王は、飼い主のおじいさんごと連れてくるように命じました。
おじいさんが猫を連れて行くと、王はおじいさんに、当時の与那国島の役人では最も位の高い「親雲上(ぺーちん)」の位を与えました。
おじいさんは猫に感謝して王に差し上げ、与那国島に戻りました。
ところが驚いたことに、家の中に入ってみると、どうやってきたのか、ちゃんと猫は帰ってきていました。
その後、与那国島ではこの猫のことを「与那国の猫小(まやーぐぁー)」と言う歌で伝えました。
今、大川家の先祖となるこの大川親雲上(ぺーちん)のお墓は割目(わりめ)という所に実在し、子孫によってちゃんと祀られています。
おぉっ?!実在の人物とな?!!
して、そのお話をもとにしてつくられたという曲はいかに?!
このお話は、次回の「ぬちぐすい篇」につづきましょうね☆
1987年に、猫の日制定委員会が決めたのだそうです。
…つか、猫の日制定委員会って何ですか?
名前だけはものものしいですが、調べてみると、なんだか内実は「同好会」みたいなものらしいです。
そうか、逆にそう考えてみると、公正取引委員会は「公正取引同好会」で、一気にてーげーな感じになります。
国家公安委員会は「国家公安同好会」になって、なんだか「地球防衛家のヒトビト」みたいですね♪
それはともかく、沖縄で「猫」といえば、「与那国の猫小(まやーぐゎ)」が思い浮かぶひとが多いことでしょう。
思い浮かばなくても、今日はその話ですすめていきますので、そのつもりでいてください(笑)。
ちなみに、「小(ぐゎ)」は「~ちゃん」という愛称みたいに使います。
「猫小」は「猫ちゃん」ということになります。
応用編(?)としては、登川誠仁は「誠小(せいぐゎ)」と呼ばれますが、つまり「せいちゃん」です。
もし一歩間違えたら「せいこちゃん」で「赤いスイトピー」もしくは「天使のウィンク」です。(古っ!)
ほら、もうあなたは登川誠仁さんが、ふりふりのフリルのスカートをはいて、ぶりっこしている姿が目に浮かんだことでしょう♪( ̄m ̄*)
……えっと、話が進まないので、いいかげん先いきますね(爆)。
「与那国ぬ猫小」というタイトル、訳すと「与那国島の猫ちゃん」という意味になります。
かわいらしいタイトルですが、曲の背景には、琉球王朝が敷いた凄まじい圧政が存在するといわれています。
そう、あの悪名高い“人頭税”です。
人頭税とは、15歳から50歳までの男女一人一人に、田畑の面積とは関係なく、頭割りに税を課したものです。
当然、病人や障害者でもおかまいなしに税の取り立てはありました。
さらに、台風で作物が全滅しても減免はいっさいありませんでした。
納税物を載せた船が転覆した際にはなんと“未納”とみなされ、再度同じだけの納税物を納めなければなりませんでした。
与那国島は決して肥沃な土地ではありませんでしたし、荒れる海を渡るのは大変な困難がつきまといました。
その悲惨な歴史は、いまでもトゥングダやクブラバリに残っています。
トゥングダは、集落から少し離れた場所にありますが、鐘を打ち鳴らして一定時間以内にそこに集まることのできなかった者は島民によってみなごろしにされました。
一定時間以内に集まれなかった者とは、病人や障害者や妊婦でした。
彼らを養っていける余裕など人頭税下の与那国島にはなかったのです。
クブラバリは、久部良集落の近くにある、海に面した幅約3m・高さ7mの岩の割れ目です。
かつて、妊婦を集めてその割れ目を飛び越えさせたのです。
健康な成人男子でも命を落とす確立の高い絶壁を、身重の女性が飛び越えることはまずできませんでした。
運良く命が助かっても、流産を免れることはできなかったといいます。
そうやって、人減らしをしなければ、島の人々全体が生きていけなかったのです…。
でも、「与那国の猫小」は唄になる前に、沖縄の民話にしては珍しくハッピーエンドの物語としてつたえられているのです。
その内容を要約すると、以下のようなお話です。
【要約】
与那国島の祖内に住んでいた大川加仁というおじいさんは、ある日ヤシガニに足を挟まれていた猫を助けました。
家に戻ると、どうやって家がわかったのか、助けた猫が来ていたので、そのままかわいがって飼うことにしました。
ある時、おじいさんは役人から人頭税の俵を船で石垣島まで運ぶように言われました。
猫もついてきてしまったので、「猫が船に乗ると災難が起きるから連れてはいけない」と言って、猫をおいて出航しました。
しかし、どうやって忍び込んだのか、船底から猫が現れたので、仕方なく石垣の蔵元まで猫と一緒に行きました。
人頭税を届けた後、おじいさんは与那国に戻り、猫と一緒に楽しく暮らしていました。
その間、人頭税は石垣から首里城に運ばれました。
届いた俵は、宮古のものも石垣のもののネズミにかじられていたのに、なぜか一番遠い与那国島のものだけは無傷でした。
役人がそのことを王に報告すると、ちょうど蔵がネズミに荒らされて困っていた王は、その猫を連れてくるように命じました。
役人が船に乗せて猫を首里まで運ぼうとしましたが、何度船の柱にしばりつけても、猫はいつの間にかおじいさんの家に戻ってしまいました。
それを聞いた王は、飼い主のおじいさんごと連れてくるように命じました。
おじいさんが猫を連れて行くと、王はおじいさんに、当時の与那国島の役人では最も位の高い「親雲上(ぺーちん)」の位を与えました。
おじいさんは猫に感謝して王に差し上げ、与那国島に戻りました。
ところが驚いたことに、家の中に入ってみると、どうやってきたのか、ちゃんと猫は帰ってきていました。
その後、与那国島ではこの猫のことを「与那国の猫小(まやーぐぁー)」と言う歌で伝えました。
今、大川家の先祖となるこの大川親雲上(ぺーちん)のお墓は割目(わりめ)という所に実在し、子孫によってちゃんと祀られています。
おぉっ?!実在の人物とな?!!
して、そのお話をもとにしてつくられたという曲はいかに?!
このお話は、次回の「ぬちぐすい篇」につづきましょうね☆
Posted by チバりよ at 02:10│Comments(0)
│よーかい
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