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2006年02月14日

キンマモン

キンマモン
(写真は誰でも知っている「ウルトラマン」by円谷プロ。)

ウルトラマンは沖縄に実在したのかも…!

1966年にテレビ放映が始まった「ウルトラマン」の原作者は、沖縄出身の金城哲夫さんでした。

金城さんは1938年に南風原に生まれ、沖縄戦当時は6歳でした。
一家は艦砲射撃の中、本島南部を逃げまどい、金城さんの母は米軍機に撃たれ、左足を失ったそうです。
やがて金城さんは15歳で上京し、大学卒業後、「特撮の神様」と言われた円谷英二の円谷プロに入りました。
そして、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」をメインライターとして手がけていったのです。

その後、金城さんはいわゆる「本土復帰」の3年前、1969年に沖縄に帰郷します。
沖縄芝居の脚本や小説を書いたりしていましたが、1976年に自宅の2階の屋根から転落死して亡くなりました。
37歳という短い生涯でした。

金城さんは、「ウルトラマン」に故郷の沖縄を投影させたといいます。
例えば、金城さんのウルトラマンは怪獣を懲らしめはしたけれど、決して殺さなかったといいます。
「(こんなに怖い)人間たちの世界にいちゃだめだよー。自分たちの世界に帰りなよー」と怪獣を追い返したのです。
怪獣は単純に「悪者」ではなく、独自の生い立ちがあり、彼らの生活と意見があったという世界観です。

それは、「怪獣=マイノリティ」の象徴だったのです。
日本やアメリカといった多数者の中で、周囲から理解されないウチナンチューの想いや孤独を怪獣に託したというのです。


さて、ここまでのことは、後に金城さんを語る書物などによく出てくるお話です。
よーかいは、“妄想力”でもって、もう一歩踏み出してみたいと思います。

怪獣だけでなく、ウルトラマンにも沖縄独自のモデルがあったのではないだろうか?
これがよーかいの憶測です。

M78星雲からやってきた、正義のヒーローは、怪獣を理解できずに排除しようとしたヤマトンチュではもちろんありません。
ある意味、怪獣の心を誰よりも深く理解できた者ではないだろうかと思うのです。

では、一体、ウルトラマンは何者だったのでしょうか?

よーかいの説は、“キンマモン”がモデルではなかったかと思うのです!

キンマモンは漢字で書くと「君真物」と書きます。
琉球の最高神官“聞得大君”にのみ憑依する精霊です。

聞得大君には、琉球国王の妹のみが就くことができました。
古代より琉球では、妹のことを「オナリ」といい、兄である「エケリ」を守護する存在と考えられていました。
女性には、特別な霊力が備わっていると考えられていたのです。
その「オナリ」の中でも、聞得大君は国王を守護し、琉球王国全体を守ることができるほど最も強い力を秘めた存在だと考えられていました。
なぜなら、聞得大君だけが“キンマモン”という強い精霊を憑依させ、この世に降ろすことができると信じられていたからです。

つまり、キンマモンは琉球の最高神です。

こうして見てみると、
①守護者である
②普段は表に現れない
③憑依することでその力を発揮する
④日常世界には長くはとどまれない
⑤依りしろ本人ではなく、依りしろが守りたい人や場所を守る
⑥強大な力である

という点で、ウルトラマンとキンマモンは非常に似ている点があることがわかります。
また、沖縄の神様ですから、当然「怪獣(=ヤマトでのウチナンチューの象徴)」の心も理解できたはずです。

なお、ウルトラマンは“M78星雲”からやってきましたが、キンマモンは遙か海の底“龍宮”からやってくると考えられていました。
こうしてはるばるやって来る点も似ていますよね?(^-^)


蛇足ですが、「助けてー、ウルトラマーン!」を「助けてー、キンマモーン!」とヤマトンチュが叫ぶと、なんだかマヌケな感じがしてしまいます。
そう…、
これは…、
助けてー、ドラえもーん!」と泣きつく、のび太君みたいですよね
…って関係ないか(汗)。


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Posted by チバりよ at 00:05│Comments(14)よーかい
この記事へのコメント
そういえば、怪獣の名前も、どこかウチナーグチっぽいナ…
「チャンドラー」「ピグモン」「ケムラー」「ガボラ」…ね。
「ウルトラマン」も、略したら「ウルマ」…って、これはこじつけか(笑)
Wikipediaで調べたら、ウルトラマンの名称は、企画段階では「ベムラー(第1回に登場した怪獣の名前)」だったんだって!
ところで、怪獣たちが「ウチナーンチュ」の象徴なら、強力な武器を持ちながら決して怪獣を倒せなかった「科学特捜隊」は何の象徴だったんだろう。
ヤマトー?アメリカー?
それとも…。

P.S.
「ヲナイ神」「キンマムン」を調べてるうちに、ちょっと面白いサイト見つけたよ。
http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/
ちょっと覗いてみるのもいいかも。
Posted by かり管1号 at 2006年02月14日 12:24
今回はウルトラマンときましたね。
ウルトラマンといえば金城哲夫。金城哲夫といえばウルトラマン。
というぐらい切っても切れない というより今や一心同体ですよね。
金城哲夫はヤマトでは大きく評価されていますが、残念ながら沖縄ではほとんど評価されていないそうです。
沖縄の宝のひとつなのに…
金城哲夫のすばらしさは数字や文章で表せないので具体的に把握しにくいですが分かりやすい例をひとつ、
「40年近く経った今でも金城哲夫に代わる人物が出てこない」ということで分かるのではないでしょうか。
そうです金城哲夫こそ“超越した人”「ウルトラマン」だったのではないでしょうか?
あれっ?話が外れてすいません。
Posted by にしやん at 2006年02月14日 14:00
キンマムン・・・
池上永一さんの「レキオス」にも登場したね。
何故か登場した四箇所に傍線引いて付箋貼ってあります。
実際に信仰の対象だったんですね。

その時レキオスも琉球の呼称だと知りました。
レキオス航空は頓挫してしまったのでしょうか?

あっ、そうそう。
「てるりん」18日(土)再放送決定。
(NHK総合午後10から11時30分)
赤旗日曜版はエライ、解説付きで番組紹介してました。

    (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2006年02月14日 18:13
>かり管1号さん

ご紹介のサイト覗いてみました(^▽^)

一見かなり突拍子もない学説に、一瞬「ん?根拠は?参考文献は?調査記録は…?」という夢のない言葉が頭の上をとびかいました(爆)。
もしかして、この話って妄想…?
そう思ったとき、目次の項目を見てみたら、かなり興味深い内容がてんこもりみたいでした♪(^-^)

邪馬台国論争はまだわからないことだらけですが、沖縄の古民俗学を調べる上では面白そうですね♪

ところで、ウルトラマンは実は人間を救うためじゃなくて、人間から怪獣を救うためだとしたら、いろいろな矛盾点が説明つきそうな感じがしませんか?
例えば、家をたくさん壊してしまって、怪獣の被害よりもウルトラマンによる被害の方が明らかに大きいこととか…(^▽^;


>にしやんさん

金城哲夫、偉大だと思います。

自分にとって、子どもの頃のヒーローは仮面ライダーでも戦隊モノでもなく、ウルトラマン一筋でした。
仮面ライダーは初回で無理矢理手足を縛られて「いやだぁぁ、ショッカーになんかなりったくないぃぃ」と恐怖に表情が歪みながら改造されてしまうのが、子どもゴコロに軽いトラウマでした(爆)。
改造されてまで強くなりたくないなぁ。。。なんて思っていました。
戦隊モノは、相手は1体なのに、5人がかりで、しかもロボまで最後には持ち出して、フェアじゃない気が子どもゴコロにしていました。

そんななか、ウルトラマンの孤高さが大好きでした。


>つのいさん

「レキオス」は先日文庫本になったので、すぐに一気読みしましたよ~v(^ー^)
ちょっとマンガっぽい荒唐無稽な設定でしたが、沖縄の民俗は、さすが「風車祭」の作者だけあって圧巻でした!

「てるりん」再放送するんですね♪
ビデオをセットしておかなきゃ♪(^.^)
Posted by よーかい at 2006年02月14日 21:59
金城哲夫・・・

沖縄では「ウルトラマン」の原作者というよりは、1969年に沖縄へ帰ってからの沖縄芝居の脚本、演出活動に注目しているようですね。

過日、JUMONさんから2月9日(木)那覇のパレット市民劇場で沖縄時代劇映画「吉屋チル」(原作・脚本・監督:金城哲夫)の特別鑑賞会があったと聞きました。

その映画鑑賞会のあった日の朝日新聞夕刊のコラム「ニッポン人・脈・記」はきしくも金城哲夫特集でした。生前、沖縄芝居を書く上で
沖縄口が堪能でないことを苦しがっていたそうです。1938年(昭和13年)生まれ、生きていれば今年で68歳、その位の歳の人でも民謡とか芝居を若い時からやっていないと沖縄口を上手く操れなかったのでしょうか。

      (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2006年02月15日 09:02
>つのいさん

沖縄出身でも、ウチナーグチのヒアリングはできても、しゃべるのはテレビの影響などもあり、どうしてもヤマトウチナーグチになってしまう人が多いそうですね。

金城哲夫さんが映画監督もされていたとは驚きました。


>にしやんさん

追伸:
金城哲夫こそ「ウルトラマン」とありましたが、よーかい的には、金城さんは名実共に「ウルトラの父」だったのではないかと思いますv( ̄ー ̄*)


>かり管1号さん
追伸:
怪獣をもし、「ウチナーからヤマトにでてきたけれど、孤独のなかで非行に走ってしまった少年」とするならば、ウルトラマンは児童相談所の特命職員ですね♪
その場合、科学特捜隊はヤマトの警察です。
少年の非行の背景などを考えようともせず、警察権力を行使しようとする科学特捜隊の中にウルトラマンは潜り込んで、警察情報を事前に察知し、警察が少年を心身共に打ちのめしてしまう前に、タイマンの体当たりで少年を理解しようとし、保護していくのです。

……って、これはちょっと妄想が過ぎたかな?(^_^;)
Posted by よーかい at 2006年02月15日 13:24
よーかいさん、そのたとえ話聞くと、新城卓監督の映画「オキナワの少年」を思い出して、ちょっと暗うつな気分になってきちゃったナァ(なんで?)。
バイクで国会議事堂に突っ込んで自殺したウチナーンチュ役の内藤剛志さんの顔が浮かんできました。あれは、さしずめ「ジャミラ」あたりだったのかなぁ(笑)
Posted by かり管1号 at 2006年02月15日 19:28
>かり管1号さん

「ジャミラ」の経歴を調べていたら、悲しいお話で、しんみりしてしまいました。
もとは人間だったんですね~。

でも、いくら宇宙に行ったことで怪物になってしまったからって、身長50m、体重1万トンは「質量保存の法則」からいってありえない…(笑)。
第一、1万トンあって二足歩行したら、一歩も動けずに地面にめり込みますね。うん。

「沖縄の少年」も知らなかったのですが、いま調べてみて、一昔前のヤマトでのリアルなウチナンチューの現実を考えさせられてしまいました。。。

でも、「沖縄ブーム」が背景にあるとはいえ、ウチナンチューはヤマトで差別が少なくなった分、まだいいのかな?
同和や、いわゆる「在日」の人たちや、その他様々なマイノリティが、「同化」でなく、自分たち自身の“かっこよさ”を自然に主張できる日がくればいいなと思います。

もっと身近な場所でも、地域によって貧富の格差の問題もありますよね。
例えばそこでの失業率の高さや生活保護受給率の高さや犯罪率の高さと…いったことは、いまは「本人の問題」として片づけられてしまうことが多すぎるように思います。
(小泉内閣のいう「自己責任」論とか。)
でも、それもやっぱり、そういう状況を生みだしている周囲にも大いに問題があることにも目を向けなくちゃならないんですよね。

そういうことに、もっと多くの人が気付いてほしいな。
Posted by よーかい at 2006年02月15日 22:01
映画「オキナワの少年」を見るときはビデオなどで繰り返し見ることをお薦めします。
過去(主人公の少年時代)と現在(といっても70年代ですが)&沖縄とヤマト&アメリカが複雑に交差していてなかなか意味が分かりずらいのです。
繰り返し見ることでストーリーや意味、表現したい事が見えてきます。
かなり重いので覚悟して見て下さい。
Posted by にしやん at 2006年02月16日 00:16
>にしやんさん

はい、心して観てみましょうね(^-^;

……でも、一つ心配なんですが、繰り返し観ることで、トラウマになったりするようなことは、ありませんか??(汗)
Posted by よーかい at 2006年02月16日 00:31
トラウマにはならないと思います。(たぶん)
いままで話だけで聞いていた事件や事故が映し出されていてけっこう生々しい映画です。
主人公が宮森小学校事件で寸での差で命拾いしたりとか。。。
あとは見てのお楽しみ♪

昔、ビデオに録画したのですが消してしまいました。(今思うと失敗したと悔やみます)
Posted by にしやん at 2006年02月16日 01:36
9日の朝日新聞夕刊のコラムにも書かれていたようにジャーナリストの森口豁(かつ)さんは玉川学園高等部で金城哲夫の一学年先輩だった。森口の「沖縄 近い昔の旅 非武の島の記憶」にもそのことが書かれています。大学を卒業して沖縄で新聞記者をしていた森口は毎日金城の那覇の家(食堂)で食事を摂り金城の母を「お母さん」と呼んでいたそうです。そのころ未だ学生の金城も同じように森口の世田谷の実家で食事を摂り森口の母を「お母さん」と呼んでいたようです。森口は沖縄戦で片足を失った金城の母や食堂に集まる人々の話から金城の言葉「戦争が人間にもたらす哀(かな)しさ」を肌で知ります。

おなじ本の中に「オキナワの少年」に類似する話が載ってました。映画は原作者・東峰夫さんのフィクションですが、これは実話です。1973年5月20日、オートバイに乗った沖縄出身の青年が猛スピードで国会議事堂正面ゲートに衝突して即死した。遺書も無くその原因が不明であったが森口が取材を通して青年の政治的な意図(本土並みでなかった復帰に対する抗議)があったことを類推しました。

      (つのい いちろう)

     
Posted by 角井 一郎 at 2006年02月16日 10:57
>よーかいさん、「オキナワの少年」を観ても「トラウマ」にはならないけど、ひょっとしたら「ウルトラマン」になるかも(笑)
「オキナワの少年」のビデオ、以前WOWOWで録画したのをかりゆしに置いてあるので、今度来た時貸してもらえると思うよ。にしやんさんの言うとおり、かなり重いよ〜。何しろ、ウチナーンチュ役の俳優が、全員ヤマトンチュだからね〜。胃がもたれますよ(笑)。
>つのいさん、森口豁さんの本は「だれも沖縄を知らない〜27の島の物語」ってのを買って、まだ読んでません(文庫本なら電車で読めるのにナ…)。でも、つのいさんの話を聞いたら「ガンバって読んでみるかぁ…」って気分になりましたぜぃ。

ウルトラマンの話から、こういう深いところまで行っちゃうんだから、ここの常連さんは凄いネ(笑)
Posted by かり管1号 at 2006年02月16日 13:22
>にしやんさん、つのいさん、かり管1号さん

ひょえ~、皆さんすでに拝見されていらっしゃるのですね!
すごいなあ。。。
これはホントにぜひ観てみなければ(^.^;)

映画の舞台はいわゆる「本土復帰」前みたいですが、73年に実際に近い事件があったとは驚きです。

今度「かりゆし」に行ったら、ぜひ貸してもらおうと思います♪
そのまえに、近所のレンタルビデオ屋さんをチェックかな…(^-^)
Posted by よーかい at 2006年02月16日 14:56
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