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2005年12月05日

うたは自由を目指す!

うたは自由を目指す!
(今回のタイトルは、ソウル・フラワー・ユニオンの「シャローム・サラーム」というアルバムの収録曲からとらせてもらいました。)

今回はアナーキーにいきます!

これまでも何回かこのブログでも採り上げたように、沖縄の「うた」を見てみると、エッチな内容のものが多いことに気付きます。
それはヤマトでは「春歌」「猥歌」といわれる種類の唄になりますが、エッチなだけでなく、おおらかで、日々の生活の生きる喜びにも結びついていることもみえてきます。
(俳優の小沢昭一などは『これはむしろ「聖歌」というべきだ!』なんて主張もしています。笑)

でも、これはもともと沖縄に限った現象ではなかったのです。

かつては、ヤマトのどこにでもそのような「うた」(民謡)はありました。
でも、「公序良俗に反する」「非道徳的である」として改ざんされたり弾圧されたりしてきたのです。
そして、いまでは沖縄を除いてほとんど残されていないのです。

では、なぜ「うた」はそのように絶滅させられてきたのでしょうか?

まず思い浮かぶのは、江戸時代に幕府を中心にヤマトの支配的な思想になった儒教の影響では?という疑惑です。
儒教は孔子によって体系化された学問で、日本では後に「道徳」の基礎になりました。
特に朱子学は幕府によって封建支配のための思想として採用されていました。

けれど、儒教の影響は、むしろ中国とヤマトの間にあった琉球にこそ首里を中心に広まっていたといえます。
首里城に「守礼之邦」の額があることや、「忠孝」を重んじるのは、まさに儒教の影響といえるでしょう。

さらに言えば、幕府の弾圧を受けながらも、ヤマトでも江戸時代の化政文化では「黄表紙」、元禄文化では「春画」という「エッチな文化」が庶民の間に大流行したこともありました。
これは、幕府権力や権威に対する、民衆のささやかな抵抗でもありました。
「うた」もそのように、ヤマトでもおおらかにひとびとの楽しみとして存在していたのです。

以上を見てみると、単に「儒教の影響」が「うた」を絶滅させた要因とはいえないようです。

ここで、伊波普猷の「古琉球」に収録されている明治45年の「南より」という論文に重要な記述をよーかいは見つけました。
まず、伊波は西表島の「湊節」という唄の解説をしているので、それを要約します。
 魚を捕ろうと網を投げたら、魚の代わりにカワイイ乙女が入ってきた。
 漁師の言うことには、「ここに泊まっておいで、休んでおいで♪」
 乙女は「泊まったら、休んだらあなたはどうなさるの?」と尋ねました。
 すると漁師は「今夜のことを語って…」
さあ、ここからが「湊節」のクライマックス…というところで、唄はぶつ切りに終わります。
以下、引用です。
『…それから先に何かあったらしいが、そこは多分廃藩置県前に、首里政府に八重山の歌を全部書いて出した時、削られたのであろう。八重山の歌集を沢山集めて比較研究をして見ると、その辺の経緯がよくわかります。』(引用ここまで。)

うげ、「歌を全部書いて首里政府に提出、削除」ですと?!

なお、このころの首里政府は単にヤマトの権力の「出張機関」にすぎません。
どうやら、「首里政府」の所行という以上に、「廃藩置県」がより大きなキーワードのようです。
またの機会に詳しく述べるかもしれませんが、「日本国」という国民国家を創り出すためには、より強い弾圧を多くの分野で必要としたのです。
このため、ヤマト本土の「うた」はこの時期にほとんど滅んでしまったようです。
つまり、すべて記録から抹消されて「なかったこと」にされてしまったのです…!

余談になりますが、ではなぜ沖縄本島では「うた」が絶滅しなかったのでしょうか?
それはどうやら、「辻(遊郭)文化」と「毛遊び」にあったようです。

辻の遊郭内は、権力の支配が完全には及びきれない、一種の「治外法権」の場所でもありました。
そこでは、遊女たちによって「うた」が語り継がれていきました。
かつて三線を上達したいときには、三線教室などなかったので、遊郭に行って習ったそうです。
「沖縄/うた・祭・放浪芸」という4枚組のアルバム(ソニー)の照屋林助(通称「てるりん」)の解説では、「うた」は港から港にわたって、女郎屋を通じて広まっていったということが述べられています。

さらに、「毛遊び」、これは若い男女が野原に集まって唄い踊る遊びを夜な夜な繰り広げたというものです。
伊波普猷は「良識派知識人」ぶって(笑)、毛遊びを「悪しき風習」などと書いていますが、弾圧にもかかわらず、コザなどでは戦後もしばらく続きました。
ここで歌い継がれて残された「うた」も多かったようです。

なにせ、艶っぽい唄じゃないと、その後の「お楽しみ」に向けてのムードも盛り上がらなかったのですから♪( ̄m ̄*)

…えと、ではなぜヤマトは廃藩置県のときに「うた」を強引すぎるまでの手法で弾圧したのでしょうか?
なんでエッチだといけないんでしょうか?

そのカラクリについては、また気が向いたら書きましょうね。


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Posted by チバりよ at 00:58│Comments(6)よーかい
この記事へのコメント
「毛遊び」。ねぇー、どうしてこうゆうのって禁止されちゃうんですかねぇー。

あねべたやよかて
「しのぐ」しち遊(あすい)で
わすた世(ゆ)になれば
おとめされて

・・・ってのがあります。恩納なべです。「姉さんたちは「シヌグ」遊びをしてよかったろうに私たちの時代になるとそれが禁止され残念である」と嘆いていますね。

シヌグは稲の豊穣予祝につながる神祭り(旧7月)です。同時に男女の楽しい集いの場でもあったのです。どうして、こんな年に一回の楽しみまで奪ってしまったのでしょうか。

「毛遊び」に対して大和には「歌垣」ちゅうのがありました。筑波山の歌垣は春と秋の年二回男女が山に登り集ったと常陸国風土記に書かれています。これもシヌグと同様に特定の日の楽しみであったようですね。

私の住む地域でも昔祭礼の夜は無礼講ってことで男が女を誘うことがフリーだったと聞いたことがあります。石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史(1)」にも日常的に性がタブーとされていた弥生人が歌垣の日に開放される様がリアルに描かれています。

大和の歌垣も弾圧されたのでしょうか。それとも自然消滅したのでしょうか。

神遊び、シヌグ遊びを源にしている毛遊び。時の権力者は日常・非日常に限らず庶民が遊ぶことを由としなかったようですね。自分だけ遊んじゃって・・・ホントにもう(毛)許せないよぉー。

      つのい いちろう

Posted by 角井 一郎 at 2005年12月05日 11:29
こんちは。
ワタシの尊敬する作家、故・開高健さんが昔、北海道を旅していたとき、船宿のおかみさんが、地元に昔から伝わる「ソーラン節」の元唄を聴かせてくれたそうです。
「♪ヤーレンソーランソーラン…ハイハイ
鏡またいで うがチャンコ見れば
鏡またいで うが笑う ホイ…」
チャンコってのは、いまで言う「オマ○コ」のことだそうで、江戸末期から明治初期にかけてそれのことをチャンコと呼んでたそうです。今、みんなが食べてるちゃんこ鍋、なんてのも、ちょっと前まではアブナイ言葉だったんですね。
今、みんなが知ってるソーラン節の歌詞「ニシン来たかとカモメに問えば…」なんてのは、面白くも何ともないですよね。第一寒い北の海で漁船に乗って網を引く時に、マジメな唄なんて歌ってられないですよね。網引き唄にせよ、田植え歌にしろ、多少エロチックな要素がないと、腹に力が入らないもんね。でも、やはり明治のころ、歌を編纂して活字にするにあたって、これらの歌たちは全て改ざんされてしまったらしい。活字になったとき、唄は死ぬ、ってことですか。
廃藩置県時の「唄の弾圧」のカラクリの話、楽しみにしています。
来年あたり、沖縄の古い唄(歌詞)を探す旅にでも出かけようかな…。
Posted by かり管1号 at 2005年12月05日 15:15
>つのいさん

恩納なべと歌垣の話、自分の頭の中の「いつか書こうかなリスト」に入っていたのですが、お先に書かれてしまったなぁ…という感じです(^-^;

うーん、そのネタでいつか書くときには、もっとヴァージョンアップさせて書かないとなぁ…うかつには書けんぞ…(^。^;)にゃは


>かり管1号さん

「活字になったときに唄が死んだ」例としては、上でつのいさんが挙げられている「歌垣」があります。
これはいつか記事にしようかなぁ?と漠然と考えています。

一方、廃藩置県時の「唄の弾圧」のカラクリの話、これは「うた」だけでなく、明治以降の女性への弾圧や、その後戦争へと日本が突き進んでいく話もからんできます。
そうなると、あまり楽しい話にはできそうになくて、どこまで書いたらいいのか、じつはまだ迷っています…(^-^;)

とりあえず、次の記事として書くか、もっと後にするかも含めて、「うーーん、困ったぞ」とわじわじしています。

自分の胸の中に納めておく話にした方がいいのかな?なんてことも考えてみたり…(汗)。
Posted by よーかい at 2005年12月06日 23:47
>よーかいさん

先走ったようで・・・ゴメンなさい。
以後気をつけます。
でも、またやっちゃったら・・・どうしよう。

>かり管1号さん

こういった方面のことを真正面から書いている希少な御仁に赤松啓介さんという御方がいらっしゃいます。私も「○這い」の勉強をさせていただきました。これも国家の弾圧対象だったんですね。これをこの御仁は国の徴税対策だったと論ずるから驚いちゃいます。弾圧すれば遊郭などの売り上げが増えて税収UPになるって具合です。如何ですか。

この御仁の著作に「民謡猥歌の民俗学」というのがあるそうです。たぶん沖縄の民謡までは言及してないと思いますが、この先生のことだからかなり広範囲に材料を集めていると思います。チョイトお高いので購入していません。こういう野人の本を図書館は買ってくれるでしょうか。

      つのい いちろう

Posted by 角井 一郎 at 2005年12月07日 09:44
>つのいさん

いやいや、お気になさらずに(^。^;)
いつものつのいさんでかまいませんよ~。

むしろ、貴重な情報をいただけることで、こちらの記事に欠けている部分を補強していただくことの方が圧倒的に多いので感謝しています♪

赤松啓介さん、検索したら、千葉県船橋市にも横浜市の図書館にも、かなりの蔵書がありました。
「民謡・猥歌の民俗学」、今日の仕事帰りにぜひ借りて読んでみようと思っています(^▽^)
Posted by よーかい at 2005年12月07日 10:28
>よーかいさん

寛容なお心配りありがとうございます。

図書館にありましたか。
この2つの図書館、有名ですね。
船橋市立図書館には名物館長さんがいらっしゃいました。「市民が欲するものは何でも提供」をモットーにユニークな図書館運営をしていました。
横浜市立中央図書館は新たな開館にあたって分類別からテーマ別の開架にしました。自分のテーマに沿った本探しが出来て便利です。県立図書館よりもズット歴史があって蔵書も豊富です。因みに戦前までの県立は金沢文庫だったそうです。

      つのい いちろう
Posted by 角井 一郎 at 2005年12月07日 15:13
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