2005年09月17日
町田エイサー祭り-2(胡屋編)
実は、今日の「町田エイサー祭り」ではとても楽しみにしていたことがありました。
それは、沖縄市の「胡屋青年会」の出演です♪
8月にコザで行われた「第50回沖縄全島エイサーまつり」によーかいは行ってきました。
出演したいくつもの青年会のなかで、とりわけ強く印象に残ったのが、胡屋青年会だったのです。
あのとき、胡屋のエイサーが特別輝いて見えたこと。
そこにはきっとなにか秘密があるはずだとよーかいは考えました。
その秘密をつきとめることも、今日の目的の一つでした。
それは、沖縄市の「胡屋青年会」の出演です♪
8月にコザで行われた「第50回沖縄全島エイサーまつり」によーかいは行ってきました。
出演したいくつもの青年会のなかで、とりわけ強く印象に残ったのが、胡屋青年会だったのです。
あのとき、胡屋のエイサーが特別輝いて見えたこと。
そこにはきっとなにか秘密があるはずだとよーかいは考えました。
その秘密をつきとめることも、今日の目的の一つでした。
沖縄市胡屋青年会は、記録にある最も古いものでは、1907年(明治40年)に「胡屋村のエイサー」という新聞記事が残っています。
戦争中一時中断しましたが、1961年(昭和36年)に復活しました。
その後も何度か解散と結成を繰り返していまに至るそうです。
復活した際に、かなりアレンジが加えられています。
例えば、それまでのゆっくりとした曲調を早くしたり、衣装も芭蕉布や紺地の着物から今のものへと大きく変わりました。
隊列形式も、女性の手踊りがより目立つように工夫されてきたそうです。
(沖縄全島エイサーまつり実行委員会編「エイサー360度〜歴史と現在」より)
ちなみに、沖縄市の中心である「コザ」の名称は、米軍が「胡屋」を間違えてコザと発音したことに由来するといいます。
さて、胡屋青年会は一昨年の「沖縄全島エイサーまつり」では、2日目、すべてのエイサーの大トリを飾ったほどの実力です。
また、町田琉のエイサーは、演舞曲目から会員規則まで胡屋青年会のものを継承したという熱の入れよう。
この2つのエピソードだけでも、すごさの一端が垣間見られます。
「沖縄全島エイサーまつり」ではまず、チョンダラー(京太郎)のうまさが目につきました。
道化師的な役割と、隊列の統制の両方をみるのがチョンダラーの役割です。
チョンダラーがうまいと、とにかく盛り上がるんです。
胡屋のは、お客のツボを心得ているチョンダラーでした。
そして、大太鼓や締太鼓の動きが大きく、掛け声も大きく迫力がありました。
地方(じかた)の唄三線も唸るような重低音のヴォーカルと甲高い三線の弦の音色が絡み、叩きつけてくるようです。
ところで、今回の町田エイサー祭りは、いくつかの会場にわかれていましたが、16時から「ぽっぽ町田前」路上で行われたエイサーが本日のメインでした。
そこでは、まず胡屋青年会が出演し、休憩を挟んで町田琉。
そして最後にもう一度胡屋青年会が出演して本日の締めとなります。
ちょっと道が狭く、通行人もいるためにとんでもない渋滞みたいな状態で胡屋のエイサーが始まりました。
あまりの人混みに、なかなか見えません…(汗)。
やっとの思いで見えたときには、すでに初回の半分近く過ぎていました。
でも、やはり胡屋は格の違いを見せつけてくれました!
まるで小さな嵐です。
これまでエイサーを見るとき、大太鼓や締太鼓といったいわゆる「男性パート」は剛、手踊りの「女性パート」は柔という印象でした。
実際、太鼓部隊の動きには琉球空手の動きが取り入れられていることもあります。
でも、胡屋青年会では、「剛」の中にしなやかな「柔」を見た気がしました。
足の動きがまったく他と違うのです!
とくに、柔術や剣術のような、空手ではあまり使用されない「すり足」の動きが完璧です。
先に挙げた「エイサー360度」によると、『新入りはまず先輩から曲なしで足運びから教わる。その次に手踊りを覚えていく。その後踊りの輪の中に交じり曲にあうように練習を積み重ねる。細かい指導はその都度なされ、締太鼓で経験を積むと大太鼓の動きを教わる』とありました。
これを読んでまさに納得です。
腰を落とし地面を水平移動するようなすり足は、修練に修練を積んで初めて身に付くものなのです。
本日2回目にあたるラストは、幸運にもまさに目の前で観ることができました。
そのときのことです。
締太鼓の人が大きく舞った瞬間、なにかが顔に直撃した気がしました。
それがなにかを気づくのには、少し時間が必要でした。
よく見ると、どの締太鼓も裏側が破れています。
叩いた反響で、衝撃の大きい裏側の皮の方が破れるほど強く打っているのです。
つまり、顔に直撃したと感じたのは、締太鼓を突き抜けた空気の固まりでした。
大太鼓は、さすがに打撃面と反対側の皮が破れるということはありませんでしたが、響きの大きさといったら、心臓を鷲掴みにされるようです。
もう一つ、メンタル面が他と大きく違うなぁと感じました。
胡屋青年会は、待っている間すら無駄がなく、静かに集中力を高めている空気の振動が感じられました。
待っている間、団体によっては私語が多かったりふざけているところもあります。
それはたしかに緊張をほぐすためもあるのかもしれません。
けれども、エイサーはただの「芸能」ではなく、祖霊を送る厳粛な行事でもあります。
このしんと澄んだ厳粛さだけはどこも基盤の部分に大事にして欲しいなぁと思うのです。
おそらく、このようなことすべての積み重ねが生み出す化学変化が胡屋青年会エイサーのすごさの「秘密」だったのでしょう。
明日18日も沖縄胡屋青年会は町田エイサー祭りに出演します。
さらに、明日は中秋の名月。
最高のエイサー日和ではないですか♪
戦争中一時中断しましたが、1961年(昭和36年)に復活しました。
その後も何度か解散と結成を繰り返していまに至るそうです。
復活した際に、かなりアレンジが加えられています。
例えば、それまでのゆっくりとした曲調を早くしたり、衣装も芭蕉布や紺地の着物から今のものへと大きく変わりました。
隊列形式も、女性の手踊りがより目立つように工夫されてきたそうです。
(沖縄全島エイサーまつり実行委員会編「エイサー360度〜歴史と現在」より)
ちなみに、沖縄市の中心である「コザ」の名称は、米軍が「胡屋」を間違えてコザと発音したことに由来するといいます。
さて、胡屋青年会は一昨年の「沖縄全島エイサーまつり」では、2日目、すべてのエイサーの大トリを飾ったほどの実力です。
また、町田琉のエイサーは、演舞曲目から会員規則まで胡屋青年会のものを継承したという熱の入れよう。
この2つのエピソードだけでも、すごさの一端が垣間見られます。
「沖縄全島エイサーまつり」ではまず、チョンダラー(京太郎)のうまさが目につきました。
道化師的な役割と、隊列の統制の両方をみるのがチョンダラーの役割です。
チョンダラーがうまいと、とにかく盛り上がるんです。
胡屋のは、お客のツボを心得ているチョンダラーでした。
そして、大太鼓や締太鼓の動きが大きく、掛け声も大きく迫力がありました。
地方(じかた)の唄三線も唸るような重低音のヴォーカルと甲高い三線の弦の音色が絡み、叩きつけてくるようです。
ところで、今回の町田エイサー祭りは、いくつかの会場にわかれていましたが、16時から「ぽっぽ町田前」路上で行われたエイサーが本日のメインでした。
そこでは、まず胡屋青年会が出演し、休憩を挟んで町田琉。
そして最後にもう一度胡屋青年会が出演して本日の締めとなります。
ちょっと道が狭く、通行人もいるためにとんでもない渋滞みたいな状態で胡屋のエイサーが始まりました。
あまりの人混みに、なかなか見えません…(汗)。
やっとの思いで見えたときには、すでに初回の半分近く過ぎていました。
でも、やはり胡屋は格の違いを見せつけてくれました!
まるで小さな嵐です。
これまでエイサーを見るとき、大太鼓や締太鼓といったいわゆる「男性パート」は剛、手踊りの「女性パート」は柔という印象でした。
実際、太鼓部隊の動きには琉球空手の動きが取り入れられていることもあります。
でも、胡屋青年会では、「剛」の中にしなやかな「柔」を見た気がしました。
足の動きがまったく他と違うのです!
とくに、柔術や剣術のような、空手ではあまり使用されない「すり足」の動きが完璧です。
先に挙げた「エイサー360度」によると、『新入りはまず先輩から曲なしで足運びから教わる。その次に手踊りを覚えていく。その後踊りの輪の中に交じり曲にあうように練習を積み重ねる。細かい指導はその都度なされ、締太鼓で経験を積むと大太鼓の動きを教わる』とありました。
これを読んでまさに納得です。
腰を落とし地面を水平移動するようなすり足は、修練に修練を積んで初めて身に付くものなのです。
本日2回目にあたるラストは、幸運にもまさに目の前で観ることができました。
そのときのことです。
締太鼓の人が大きく舞った瞬間、なにかが顔に直撃した気がしました。
それがなにかを気づくのには、少し時間が必要でした。
よく見ると、どの締太鼓も裏側が破れています。
叩いた反響で、衝撃の大きい裏側の皮の方が破れるほど強く打っているのです。
つまり、顔に直撃したと感じたのは、締太鼓を突き抜けた空気の固まりでした。
大太鼓は、さすがに打撃面と反対側の皮が破れるということはありませんでしたが、響きの大きさといったら、心臓を鷲掴みにされるようです。
もう一つ、メンタル面が他と大きく違うなぁと感じました。
胡屋青年会は、待っている間すら無駄がなく、静かに集中力を高めている空気の振動が感じられました。
待っている間、団体によっては私語が多かったりふざけているところもあります。
それはたしかに緊張をほぐすためもあるのかもしれません。
けれども、エイサーはただの「芸能」ではなく、祖霊を送る厳粛な行事でもあります。
このしんと澄んだ厳粛さだけはどこも基盤の部分に大事にして欲しいなぁと思うのです。
おそらく、このようなことすべての積み重ねが生み出す化学変化が胡屋青年会エイサーのすごさの「秘密」だったのでしょう。
明日18日も沖縄胡屋青年会は町田エイサー祭りに出演します。
さらに、明日は中秋の名月。
最高のエイサー日和ではないですか♪
Posted by チバりよ at 23:59│Comments(4)
│よーかい
この記事へのコメント
さすが、理論的なレポであるねー。
トラバはよくわからないけど、トラックバックURLってのをコピペして・・・ここではどうやるんだろう?
トラバはよくわからないけど、トラックバックURLってのをコピペして・・・ここではどうやるんだろう?
Posted by こあき at 2005年09月18日 07:36
こあきさん、コメントどうもありがとう♪(*^-^*)
トラバ…こあきさんのHPへのトラバも、逆にこちらにトラバする方法も、いまひとつよくわからんとです・・・(T_T)
こあきさんの、いつもセンスの良い写真と、繊細で柔らかい感じの文章がこちらのレポでも見られることをお待ちしておりますですよ(^▽^)
トラバ…こあきさんのHPへのトラバも、逆にこちらにトラバする方法も、いまひとつよくわからんとです・・・(T_T)
こあきさんの、いつもセンスの良い写真と、繊細で柔らかい感じの文章がこちらのレポでも見られることをお待ちしておりますですよ(^▽^)
Posted by よーかい at 2005年09月18日 22:44
町田で再会!!
今帰仁の自然学校でご一緒した横浜のPOKAKYUです。
胡屋青年会のエイサー最高でしたね!鳥肌たちましたわ。
これからも、よーかいさんが見て感じた沖縄のレポート楽しみにしてます。
お体に気をつけ頑張ってくださいね。
また、どこかのイベントで会えるかな?
(ブログってようわからんので失礼があったらお許しください)
今帰仁の自然学校でご一緒した横浜のPOKAKYUです。
胡屋青年会のエイサー最高でしたね!鳥肌たちましたわ。
これからも、よーかいさんが見て感じた沖縄のレポート楽しみにしてます。
お体に気をつけ頑張ってくださいね。
また、どこかのイベントで会えるかな?
(ブログってようわからんので失礼があったらお許しください)
Posted by POKAKYU at 2005年09月19日 23:43
POKAKYUさん、どうもありがとうです♪(^-^)
突然の再会、本当に驚きました!
今帰仁でお会いして、町田でふたたびお会いできるなんて…(驚)
しかも、このブログをご覧になっていてくださったなんて、感謝感激です!
また沖縄系のイベントなどで再会できると思います。あるいはnaruさんちかな?
そのときはよろしくおねがいします。
PKAKYUさんも、ご家族さんも、健康にはお気をつけてくださいね(^▽^)
突然の再会、本当に驚きました!
今帰仁でお会いして、町田でふたたびお会いできるなんて…(驚)
しかも、このブログをご覧になっていてくださったなんて、感謝感激です!
また沖縄系のイベントなどで再会できると思います。あるいはnaruさんちかな?
そのときはよろしくおねがいします。
PKAKYUさんも、ご家族さんも、健康にはお気をつけてくださいね(^▽^)
Posted by よーかい at 2005年09月20日 00:13
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