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2006年09月08日

マジムン(魔物)と踊るエイサー

よーかいとしては、一年中夏でもいいのに。。。

なのに気が付けば、季節はもうすっかりです。
人々の服装も、秋物にかわってきていますし、コンビニでは中華まんが売られ、デパートではハロウィングッズが売られたりしています。


けれど、旧暦7月の、あの暑くて熱い夏は、エイサーの記憶と切り離せなくなってきている自分がいます…。

マジムン(魔物)と踊るエイサー

柔らかな手踊りと、豪快な大太鼓のコントラスト。


エイサーの起源は念仏踊りだといわれています。
だから、祖先の霊に祈るという意味合いは、現在でも旧盆に道じゅねーをするエイサーには残っています。

だけど、あまり知られていないことですが、エイサーにはもう一つの意味がありました。

実は、エイサーシンカ(エイサーをする一行)は、もともとはあの世から来た餓鬼や無縁仏に扮してエイサーをしていたのです。

魔除けではありませんよ?
餓鬼や無縁仏といった一種の悪霊、もっといえばマジムン(魔物)がエイサーシンカとして練り歩いたのです。

つまり、エイサーの主役はマジムンだったともいえるのです…!


そう、昔のエイサーは、祖先の霊の供養以上に、無縁仏(ウチナーグチで「ヒジュル元祖(グヮンス)」といいます。)や餓鬼の供養の意味が大きい行事だったのです。


餓鬼とは、単に飢えた霊のことではありません。
非業の死を遂げた者や現世に思い残すことがあって、無事に往生できなかった者がさまよっているうちに餓鬼になると、かつての沖縄では考えられていました。

そのため、このような霊に対しては盆の期間に餓鬼棚なるものが作られ、供養されたのです。
餓鬼棚として、仏壇の下に大きな腕を置いて水を盛り、甘藷や野菜の屑、米の粉などを入れたものを置きました。

これを『水の子(ミンヌク)』といいます。

ミンヌクを供えられた人たちが実際にグソー(死者の世界)からミンヌクを取りにくることで、その儀式は完結しました。


儀式では、村人たちが正体を不明にするために頬被りをしたり、面をかぶったりして、ひそかに餓鬼に変身し、村の家々へと練り込んだのです。

それが、エイサーシンカでした。
つまり、餓鬼や無縁仏に扮してあの世からこの世へやってきて、ご馳走をもらいに来たマジムンだったのです。


だけど、現在、ウチナンチューでもこのことを知っている人は少ないそうです。
ミンヌクを供える家ももはやほとんどありません。

かろうじて、南風原町字喜屋武のエイサー歌に「御生(ぐそ)の宝や水の子(みんぬく)ど」という歌詞が残っているそうです。


ところで、今年は「ユンヂチ」にあたる年で、旧暦では7月が2回あります。
だから、いまはまだ「閏7月」だったりします。

「ユンヂチ」は、神様が気がつかない月だと信じられています。
だから、神罰の当たらないチャンスとばかりに、ウチナンチューはお墓を買い換えたりします。


そう、今年はまさにマジムンたちがそこかしこに跋扈する年なのです。


マジムン(魔物)と踊るエイサー

凛と引き締まった、締太鼓の列。

マジムン(魔物)と踊るエイサー

チョンダラーはときに、大太鼓も締太鼓も、すべてふっとばすほどの存在感を見せてくれます。

マジムン(魔物)と踊るエイサー

でもなんといっても、エイサーの華はやっぱり大太鼓!

マジムン(魔物)と踊るエイサー

演る方も、観る方も、どちらも全力で力一杯。
だから、どちらもきらきらしています。



それはあまりにも一瞬な、マジムンと踊る夏。


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Posted by チバりよ at 14:49│Comments(9)よーかい
この記事へのコメント
エイサーシンカー=マジムン
へ〜19。

ところで、写真誰が撮ったわけ?かっこいいさー!
Posted by にしやん at 2006年09月08日 17:41
エイサーシンカー=マジムン
へ〜19。

ところで、写真誰が撮ったわけ?かっこいいさー!
Posted by にしやん at 2006年09月08日 17:42
その「マジムン系エイサー」の痕跡が装束などに残ってるエイサーチームはないのかな?
Posted by かり管1号 at 2006年09月08日 18:18
以前、チェンバレンの厨子甕↓
http://chibariyo.ti-da.net/e915165.html

の記事にいれたんだけど、

墓庭エイサーって、マジムン系ぽくない?
Posted by しっぽ♪ at 2006年09月08日 18:41
>にしやんさん

どうもありがとうです~♪(´▽`*)

この写真は、自分で携帯のカメラで写しました~。
すべては携帯電話の製品技術の向上のおかげです。。。(汗)

だって、一番画質の低い「エコノミー」でこれだけの写真が撮れてしまうわけです…(>▽<;; アセアセ
Posted by よーかい at 2006年09月09日 03:51
>かり管1号さん

この記事では、
宜保 栄治郎 著「エイサー―沖縄の盆踊り」那覇出版社 (1997)を参考文献として使用しました~。

この本は、古老からの聞き取りから記事にしているものも多かったので、多分戦前の風習だったのではないかと思います…ヾ(;´▽`A``アセアセ

でも、「水の子(ミンヌク)」はいまでもお盆の風習として細々と生き残っていることが、さっきネットであれこれ検索していたらわかりました♪ヾ(=^▽^=)ノ
Posted by よーかい at 2006年09月09日 03:58
>しっぽさん

うん。
たしかにそれっぽい!!!

映画評をネットでみると「現実と虚構がいりまじったような」とありましたが、これはドキュメント映画ですよね?

久保田エイサーは、衣装こそ普通ですけど、「初めは十人ほどで新城家(現、自治会長)の前の墓の庭(ナー)で練習していた」ってありますもの。
http://www.kiyanagi.com/ei/ek.html

墓庭エイサー、観てみたいなぁ。。。
Posted by よーかい at 2006年09月09日 04:03
私も写真が素晴らしいと思いました。
なんと携帯カメラですか。
私の携帯カメラ、画質は悪くないのですがシャッター下りるのが遅くて、
エイサーを撮るとボケボケになってしまうのです。
うらやましい!
Posted by 亜衣 at 2006年09月09日 09:01
>亜衣さん

写真褒めてくれてどうもありがとうです♪

自分の携帯カメラも、押した瞬間とシャッターがおりるまでちょっと時間があるので、撮る時には脇をしっかり締めて固定して、
「おそらくここがシャッターチャンス!」
というカンで少し早めにシャッターを切っていますヾ(;´▽`A``


だけど、昔ながらの銀塩カメラで、ちゃんとした写真が写せるようになりたいなぁ…。。。

中古で25年ほど前のミノルタ製のカメラを購入してからも、なかなかカメラを持って撮影に行く機会をつくれなかったので、この秋はいろいろ挑戦してみようと思っています♪v(^ー^)
Posted by よーかい at 2006年09月10日 01:06
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