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2006年02月12日

岡本太郎『沖縄文化論』:後編

八重山への旅、それは人頭税の悲しい歴史、そして歌い継がれる音楽と文学へ。

文学といっても、八重山の民衆は文字を使うことが許されてなかったので、口頭で語り伝えられた音楽が、「文学」以前の文学としてとらえられている。

タローさん、所望してやってきた唄者に対して、「三線ぬきで唄だけ聴かせてほしい」と頼むのであった。唄にまとわりつく装飾的な三線の音を排除して、唄だけの語りを聴きたがった。人間の声を聞きたがった。

人間の声はすばらしい。歌というと、われわれはあまりにも、作られ、みがきあげられた美声になれてしまっている。美声ではない。叫びであり、祈りであり、うめきである。どうしても言わなければならないから言う。叫ばずにはいられない、でなければ生きていかれないから。それが言葉になり、歌になる。・・・ぎりぎりの声

タローさんの職業は?画家、彫刻家?
いやそれだけではない、彼は文筆もやれば、写真もやるひとであった。
創造するのが仕事、だから芸術家なんだと思う。
(でも、タローさんの時代には、芸術家なんて職業はなかったそうです。)

タローさんは沖縄を取材旅行し、写真を撮り、文章を書いた。
最初の1959年の沖縄取材は中央公論で10回の連載執筆となり、さらに7年後の1966年には2回目の沖縄で、久高島のイザイホーを取材執筆している。

現在文庫本になっている『沖縄文化論~忘れられた日本』には、1959年と1966年の両方の文章が収められている。

ほんの少しだけ、この本にも写真が載っている。
とくに、『久高のろ』の写真は迫力だ。
ぼさぼさの白い髪、顔に深く刻まれたしわ、しみ、手の甲には入墨。

久高のろを訪ねていって恐る恐る、「写真をとらせてください。」ときくタローさん。
祭りの装束など質問するくだりがつづられていく。

タローさんにぽつぽつと話す久高のろ。

そのやりとりを視覚的に確認することができる写真展が今開催されている。

写真展 岡本太郎の視線』@東京都写真美術館(~2/18)

ここの展示の最後が、「忘れられた日本 沖縄」である。

久高のろが部屋の奥からそろそろと現われて、縁側に腰をおろす一連のコンタクトプリント(べた焼き)。
本に掲載されているアップの表情から想像した顔とはまた違う、はにかんだ笑顔。

「あぁこれが、タローさんが、『娘のまま気品高く老いたようだ』と書き表していたことだったのだ」とすぐ気がついた。


沖縄病なる言葉が誕生するはるか以前に、沖縄の魅力をもてあますように書き綴られた『沖縄文化論』

出版当時、川端康成や三島由紀夫が絶賛。
その後、1961(昭和36)年 毎日出版文化賞を受賞。

写真展終了まであと1週間。。。写真を見る前に読んでほしい1冊です☆☆☆☆☆


タグ :沖縄病

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Posted by チバりよ at 19:51│Comments(6)しっぽ♪
この記事へのトラックバック
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ


未知なるものに人は怖れを感じる。

まだ体験していない領域では、
どんなことが起こるか想像すらできないし、
そこに...
もてる名言004 【岡本太郎】【ドンファンの口説き文句】at 2006年03月06日 16:50
この記事へのコメント
そうだね。唄を聴いて「三線が邪魔だ」って言ったのはタローさんくらいじゃないかな?たいがいの人は(ウチナーンチュも含めて)やっぱり島唄には三線がつきもの、って思っちゃってるよね。本質そのものを見抜くタローの眼力は凄まじいよなぁ…。
三島由紀夫が「これこそが文学だ!」と絶賛したのもうなずけます。
イザイホーが実質絶滅した今、この本は貴重な資料でもあるよね。

…ってゆ〜かぁ、やっぱり、みんな読んでるんだねぇ、この本。
Posted by かり管1号 at 2006年02月13日 15:24
高校生の頃お金をためて「別冊太陽」を買うのが趣味でした。その中で読んだ、最後のイザイホーの記事が強烈でした。
しっぽ♪に誘われて音楽を知る前の私の中の沖縄のイメージは、観光でも戦争でもなく、その記事のモノクロ写真。
草の冠を頭に白装束で裸足。
儀式を行う神々しいノロ達の姿。
懐かしくなって「別冊太陽」さがしたけど、その号は転勤してるうちに失ったみたい。
Posted by みたぽん at 2006年02月14日 16:46
昨年、静子・アウエハントさんの講演会、
「神々の島人との交歓・波照間島1965」を、
石垣図書館で聞いて、見て、感じた事を思い出しました。

神歌だけを海に向かい、
空に向かい、
ワー(御嶽)に向う、
神司の姿でした。

久高島と同質?の、
原始信仰・御嶽信仰の神歌を、
静子・アウエハントさんが、
唄い出したからでした・・・

鳥肌がたって、呆然としました・・・

今、貴重な写真集「波照間島 祭祀の空間」を取り出して、
感慨に咽んでいます。
Posted by 風人 at 2006年02月14日 22:05
>みたぽんさん

最後のイザイホーの記録フィルム(モノクロ映像)を見たことがあります。
写真家の比嘉康雄先生による、民俗学の講義を大学で受けていたときでした。
(この頃は、アジアにはまっていて、沖縄は飛行機代や物価がアジア各国に行くよりも高いので優先順位が低い頃でした…。)

比嘉先生も誰よりもイザイホーの復活を待ち望んでいたけれど、イザイホーが「伝説」の行事のままになってしまって廃れてしまうのは残念です。
きっと、岡本太郎も似たような想いをもっていたのではないのでしょうか?

今は亡き、比嘉先生と岡本太郎に、心から合掌です。
Posted by よーかい at 2006年02月14日 22:08
>風人さん

「波照間島 祭祀の空間」は日本語版が2004年の11月に発売した写真集ですよね?

著者(でいいのかな?)の講演会に直にいかれたのですか!
それも石垣島で!
いいなあ。。。

「波照間島 祭祀の空間」は、自分も刊行直後に、波照間島で読みました。
モノクロの写真が、かえって凄みを増している感じがしました。

神唄、聴いてみたいです。
Posted by よーかい at 2006年02月14日 22:13
『イザイホー消滅』の記事をいつか朝日新聞で読んだことがあります。
30~41歳の島嫁が足りず祭りができなかったとか。

岡本太郎がイザイホーをみたのが1966年・・・とすると、2002年午の年。
Posted by しっぽ♪ at 2006年02月15日 08:33
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