2006年09月20日
ほりかえす(笑)。
問 題 !
以下の文章から連想するものを答えなさい。
「鹿児島市山下町五番一から同市名山町十二番一まで及び…」
さてこれ、何のことだと思います??
以下の文章から連想するものを答えなさい。
「鹿児島市山下町五番一から同市名山町十二番一まで及び…」
さてこれ、何のことだと思います??
この続き。
…沖縄県国頭郡国頭村字奥新田原五百四十一番の一から那覇市奥武山町五十一番まで」
これで答えが分かる方いるのでは?
正解は…。
国道58号線のことでした。
つい国道58号線というと沖縄県の道と思ってしまうわけですが、鹿児島市から種子島・奄美大島を抜けて那覇市内まで抜ける重要な道なんですよね。
ちょっとしたことから別の国道を調べているうち、沖縄にある国道の事が気になり、色々調べていましたら、「一般国道の指定区間を指定する政令」というものがあり、国道58号線についてはこのように表記されておりました。
で、「一般国道の指定区間」??
国道には「維持、修繕、災害復旧などの管理を国が直接(沖縄では沖縄総合事務局)が行う「指定区間」と、都道県が行うそれ以外の区間に分かれていて、国道58号線は全区間が指定区間になっています。
ところで、沖縄には58号線以外の三桁国道がないですよね?
一桁・二桁の国道は「一級国道は、国土を縦貫し、横断し、又は循環して全国的な幹線道路網の枢要部分を構成し、且つ、都道府県庁所在地などを連絡する道路」として1952年(昭和27年)12月に制定されたものだそうですが…。
58号線として認定されたのが1972年。
「1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には3桁の路線名が与えられた。」のになぜに58号線だけ二桁なのか?
「沖縄を占領した米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市〜国頭村)がその起源となる。当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾〜名護町名護〜国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋〜読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。読谷村〜名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。
その年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。それと同時に、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。」
このほかの沖縄県内にある国道は300番台以降なことから、58号は重要な道ということで特別に追加された形、のようですね。
ところで、101号以降は原則北から順につけているそうで、結果日本で一番数字の多い国道は那覇から南風原・東風平・具志頭と抜ける「国道507号」、その下は名護・今帰仁・本部と結ぶ「国道505号線」ですが、「国道506号線」はありません。
ん?506号線は??
「那覇空港道」が名目上国道506号線なんだそうで…。
沖縄の皆様にとっては知っていて当たり前のことかもしれませんが、結構これは面白そうなので、これからも沖縄の国道について色々調べていこうかと思います。
(今回はwikiから記事を一部引用して作りました)
…沖縄県国頭郡国頭村字奥新田原五百四十一番の一から那覇市奥武山町五十一番まで」
これで答えが分かる方いるのでは?
正解は…。
国道58号線のことでした。
つい国道58号線というと沖縄県の道と思ってしまうわけですが、鹿児島市から種子島・奄美大島を抜けて那覇市内まで抜ける重要な道なんですよね。
ちょっとしたことから別の国道を調べているうち、沖縄にある国道の事が気になり、色々調べていましたら、「一般国道の指定区間を指定する政令」というものがあり、国道58号線についてはこのように表記されておりました。
で、「一般国道の指定区間」??
国道には「維持、修繕、災害復旧などの管理を国が直接(沖縄では沖縄総合事務局)が行う「指定区間」と、都道県が行うそれ以外の区間に分かれていて、国道58号線は全区間が指定区間になっています。
ところで、沖縄には58号線以外の三桁国道がないですよね?
一桁・二桁の国道は「一級国道は、国土を縦貫し、横断し、又は循環して全国的な幹線道路網の枢要部分を構成し、且つ、都道府県庁所在地などを連絡する道路」として1952年(昭和27年)12月に制定されたものだそうですが…。
58号線として認定されたのが1972年。
「1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には3桁の路線名が与えられた。」のになぜに58号線だけ二桁なのか?
「沖縄を占領した米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市〜国頭村)がその起源となる。当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾〜名護町名護〜国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋〜読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。読谷村〜名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。
その年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。それと同時に、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。」
このほかの沖縄県内にある国道は300番台以降なことから、58号は重要な道ということで特別に追加された形、のようですね。
ところで、101号以降は原則北から順につけているそうで、結果日本で一番数字の多い国道は那覇から南風原・東風平・具志頭と抜ける「国道507号」、その下は名護・今帰仁・本部と結ぶ「国道505号線」ですが、「国道506号線」はありません。
ん?506号線は??
「那覇空港道」が名目上国道506号線なんだそうで…。
沖縄の皆様にとっては知っていて当たり前のことかもしれませんが、結構これは面白そうなので、これからも沖縄の国道について色々調べていこうかと思います。
(今回はwikiから記事を一部引用して作りました)
Posted by チバりよ at 14:05│Comments(2)
│もたっち。(旧mota)
この記事へのコメント
わあ、もたっちは『鉄』だけかと思ったら、『道』もオタクだったのか。。
この国道58号の鹿児島部分はいつも車で走ってたので、なつかしいです。
海に向かってぷつりと終わる国道ですよね。
あそこから大隈半島を飛び越えて那覇に向かって伸びていたのか。。知らなかった。
そういえば、岩国の189号も基地がらみの妙な国道なんですよ。(私は岩国の隣町出身です)
この国道58号の鹿児島部分はいつも車で走ってたので、なつかしいです。
海に向かってぷつりと終わる国道ですよね。
あそこから大隈半島を飛び越えて那覇に向かって伸びていたのか。。知らなかった。
そういえば、岩国の189号も基地がらみの妙な国道なんですよ。(私は岩国の隣町出身です)
Posted by みたぽん at 2006年09月21日 11:37
おにぎり(標識)をみてからクルマに乗れないくせに興味を持っています(笑)。
ちなみに、こんなページを作っている方がいたり(笑)。
http://www.tabi-pro.com/nihonno_michi/index.html
ちなみに、こんなページを作っている方がいたり(笑)。
http://www.tabi-pro.com/nihonno_michi/index.html
Posted by もたっち。(mota改め) at 2006年09月22日 08:41
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