名作「流球あーむり」から考えさせられたこと。

チバりよ

2008年07月01日 06:31

今年もプロント企画が終わりに近づこうとしております。
(写真はプロント銀座並木通り店前)



今年「も」と付けたのは、
千葉りよブログが始まって以来毎年ネタにしているからでしてw。

千葉りよブログ内検索で「プロント」と入れてみると、
出るわ出るわ…w

ですが、今年は珍企画&珍商品が登場しました。
そう、 


流球あーむり!

あーむりはプロントの企画としても、
思わぬ誤植からヒット商品になりました「流球」。

いや、もしかしたら歴史的背景もあるのかもと思い検索エンジンを
ポンカラキンコンカン(大阪のラジオ・ありがとう浜村淳風)と叩いてみたら…。

流球新報
流球ガラス万華鏡
「○○(歌手名)のブログ 流球カウボーイ」
流球パイン酢
沖縄そば流球○○

…と誤植からウケ狙いまであった中で一つ気になったものがありました。

漂到流球国記」というものの中で…。

以下琉球大学付属図書館のHPから引用。

「1243年に渡宋の途上で流球国へ漂着した体験をもつ人物から慶政が聞き書きして作成した漂流記。慶政(1189年生~1268年没)は、九条道家の兄とされる。肥前国小置賀(おじか)島から出帆した船は強風で難破し、ある島へ漂到した。小屋の「炭爐」に人骨を見いだし、上陸地が「流球国」と確信する。当時の流球は食人の風習をもつ未開の地として日本では認識されていた。赤い服・頭巾の「将軍」が船に乗り、弓矢を船上から激しく射かけたり、遊泳しながら攻撃して来る場面が写実的に描かれている。文献史料の乏しい13世紀頃の琉球を検討する上で近年、注目されている史料である。」

…引用終わり。

確かに「流球国」として検索すると歴史的なものが出てきます。

なんと、本当に流球だったのですか!?
一つの看板の間違いから勉強になることってありますね…。
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