メンバー紹介
チバりよ
チバりよ
もたっち。(旧・mota)(もたちぶろぐ)/にしやん(にしやんのHP)/よーかい(沖縄で小学校の先生になる!)/よしぴ~♪(在石垣市)/こあき/しっぽ♪(ぽログ)/なんぷう1502(成田美ら海会)/おきみちゃん(在千葉市)/♪なちゅ♪(なわとび) 
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 34人

2006年01月02日

嘉例吉(かりゆし)の遊び(後篇)

嘉例吉(かりゆし)の遊び(後篇)
(写真は泡盛「カリー春雨」。
「カリー=おめでたい」の意味です。)

正月2日は姫はじめっ♪

ん?
なにか変なこと口走ったでしょうか??

暦で「正月2日」のことを「姫はじめ」っていうんですよ~。
語源は正月にやわらかくたいた飯(=姫飯(ひめいい))を食べ始める日とも、「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日だからともいわれています。

ほら、ちゃんと「広辞苑」にも載っていますよ~。
やだなぁ、みなさんエッチなんだから~。
妄想もほどほどにしないと~( ̄m ̄*)

でも、井原西鶴は「好色一代男」ですでに「姫始め」をエッチな意味で使用しているので、江戸時代には一般にもそちらの意味で流布していたようです。
……って、けっきょくエッチな話題かよっ"o(≧∀≦)o"(爆)


さて、「安波節」の2番以降の歌詞をみてみましょうね。

二、安波ぬ真はんたやハリ 肝すがり所
  奥ぬ松下やハリ 寝なし所

【直訳】
○安波の真の端っこは心が風にあたって涼むところ。奥の松の下は寝る所だよ。
 

三、安波ぬヌン殿内ハリ 黄金灯籠下ぎてぃ
  うりが明かがりばハリ 弥勒世果報

【直訳】
○安波の祝女(ノロ)のお屋敷に黄金の灯篭を下げて。それが明るくなれば豊年だよ。


安波大橋を渡って段々道を上っていくと、祝女殿内(ぬんどぅんち)が今もあるそうです。(行ったことないけど…。)
そこから左へ折れると、ちょっとした広場があって、そこが「まはんた」という眺めの良い高台だといいます。
はんたとは端、あるいは崖と言う意味です。

「真はんたは肝好がり所」、つまり若者達の絶好のモーアシビ(毛遊び)場所だったそうです。

毛遊び」については以前も少し書きましたが、仕事が終わって日が落ちてから、青年男女が野原(毛=モー)などに集まって歌ったり、踊ったりして遊ぶことです。
娯楽のない田舎では、数少ない男女の出会いの「場」でもありました。
出会いで意気投合して盛り上がれば、当然そのまま「お楽しみタイム」に突入♪(もう、せっかちなんだからぁ。)
もう少し山道を上った奥(“「宇久」という場所”という説も)にある、松の木の下で身を寄り添って恋を語り合ったのですね~。

「寝なし所」は解説不要でしょうが(爆)、もちろんただ眠るだけではありませんよ~。
「こんなごつごつした場所でごめんね。痛くない?」「ううん、だいじょうぶ」とか語り合っていたのでしょうか?(妄想炸裂)

もちろん、神事と結びついた意味もあったので、豊年を願う意味も含んでいました。
また、産まれた子どもは、神の世界からもたらされた、まさに“宝物”だったのですね♪
弥勒世果報(みるくゆがふ)」は、みるく(弥勒)様がもたらすといわれる、「みんなが豊年で平和な世」という意味です。


どうか今年、世界が少しでも平和でありますように。

「安波節」の歌詞を反芻しながら、心からそう思います。
同時に、そういった理想に、もうちっとましな世界に少しでも近づくために、自分自身もちばらなきゃなぁと思います。
せめて、出会った人たち、出会った出来事には誠実に向き合っていきたいと思います。

どうか、飢える人がいない世界になりますように。
世界中の子どもたちが幸せでありますように。


あと、ちょっとだけ、自分自身の幸せやよい出会いもついでに(笑)、願わせてくださいね~♪(^人^)


同じカテゴリー(よーかい)の記事
豚も笑う。
豚も笑う。(2008-02-07 22:28)

赤鬼がやってきた!
赤鬼がやってきた!(2007-12-18 17:01)


Posted by チバりよ at 12:00│Comments(2)よーかい
この記事へのコメント
沖縄もヤッパー松の下なんだぁー。
大和でもヤッパリ松の下ですよ。

それでは「常陸国風土記」より鹿島の郡、軽野、その南の童子女(うない)の松原のお話です。

そこでの毛遊びじゃーない歌垣で偶然二人が出会いました。男は那賀の寒田(さむた)の若さま。女は海上(うなかみ)の安是(あぜ)のお嬢さま。(実は二人とも評判の美男美女であることを前々から知っていて機会があればこましたろうと決めていたんですよ)

二人でとりあえず歌を交わした後、松の下で手を取り合い、膝を並べ、二人の顔に歓喜にがつのる微笑が浮びます。(この辺の描写は原典に忠実に再現していますので多少物足りない方もいらっしゃると思います)二人はひたすら甘い語らいにふけり、もはや夜が明けようとするのも忘れはてていた。突如、空は明け、日の光は輝いていた。二人はどうすることもできないで、人に見られることを恥じてとうとう松の樹となってしまったとさ。

若さまの松が奈美松(なみまつ)で、お嬢さまのが古津松(こつまつ)と呼ばれ、そこが歌垣のメッカになったそうです。くれぐれも人にめっか(メッカ)らないようにしましょう。

どうして二人は直ぐに衣服を整えなかったんでしょうね。昔の人はそんな程度のカモフラージュじゃー火照った体を隠し通せるとは考えなかったんでしょうね。それほど歌垣ちゅうー出会いが非日常(ハレ)の行為だったと思われます。

・・・てなことで今年もどうぞ宜しくお願いします。

      (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2006年01月02日 14:47
>つのいさん

「常陸国風土記」の松の話、とても興味深く読ませてもらいました。
とても面白かったです♪(^▽^)

現在でも2本の松は残っているんでしょうかね~?

ヤマトの民間伝承などとウチナーの民間伝承の関係なども調べてみたらとてもおもしろそうですね~。


つのいさん、今年もよろしくおねがいします♪
Posted by よーかい at 2006年01月04日 00:01
※会員のみコメントを受け付けております、ログインが必要です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。